「イ・サン」全77話ネタバレあらすじを最終話の結末まで、正祖とは?

 

作品情報/キャスト

苦境な立場から王になり父親の無念を晴らして民のための政治を行った尊敬される正祖の物語!

王位継承者であった父が濡れ衣を着せられ祖父である第21代王・英祖によって米櫃に詰められ命を落とす。

11歳で世孫となったサンは民を大切にする英祖から王としての哲学や手腕を学ぶ一方で反対勢力に次々と狙われる。

陰謀や策略が渦巻く中、幼い頃に友情で結ばれたソンヨンとテス、頭脳明晰な側近ホン・グギョンなど周囲に支えられ幾多の困難を乗り越え王となる。

 

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キャスト

イ・サン(イ・ソジン)

世孫、第22代国王・正祖。幼い頃に父・思悼世子が老論派の陰謀により死す。英祖の長男の養子となったサンだが無実を証明し王の座につくと「余は思悼世子の息子だ」と発言。人徳、武芸、学問に優れ老論派の攻勢を跳ね返し民のために改革に着手。

ソン・ソンヨン(ハン・ジミン)

図画署の茶母。幼い頃に女官となりサンと出会う。思悼世子の無実を証明した功労者。サンの側室。宜嬪。

英祖(イ・スンジェ)

最も長く生き最も長く王座についた第21代国王。淑嬪崔氏の息子。サンの祖父。

ファワン(ソン・ヒョナ)

英祖の娘、サンの叔母。

貞純王妃(キム・ヨジン)

老論派の黒幕。思悼世子を陥れる。サンを失脚させようと最後まで敵対するが最後は生きる道を選ぶ。

孝懿王妃(パク・ウネ)

サンが世孫の時に婚姻。子に恵まれなかったが人徳に優れ側室にソンヨンを勧める。

パク・テス(イ・ジョンス)

幼い頃にサンと親友の契を交わす。10年後再会し武官の試験に合格。サンを命懸けで守る。

ホン・グギョン(ハン・サンジン)

頭脳を買われサンの側近として活躍。サンから信頼され最も権力を持つ都承旨と言われ後に完成する宿衛所の長官。側室となった妹・元嬪の罪を隠すため間違った権力を振るい流刑となる。

 

正祖(イ・サン)とは?

1752年10月28日

イ・サン(正祖)は英祖28年、思悼世子(英祖の二男)の二男として誕生。母親は恵慶宮洪氏。

1762年、思悼世子が老論派の陰謀により米櫃に押し込められ餓死されてから、8歳で世孫となったサンは罪人の子は王位に付けない理由で孝章(英祖の長男・幼くして亡くなった)の養子となる。

父親を死に追いやった祖父に世孫に冊立されたサンは父親を陥れた老論派から報復を恐れられ常に命を狙われるが寝るときも服を着替えず隙を与えなかったと言われている。

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余は思悼世子の息子である

困難な立場を乗り越えていったサンは1775年、政を代理で行い、

1776年3月10日、英祖が逝去すると正祖として22代王となった(24歳)

ここでの第一声は有名な話!

「余は思悼世子の息子である!!!!」

父親の仇を討つ正祖は徹底して敵を排除しつつ・・・

 

身分制度の改革

1776年、漢城(首都)に奎章閣(資料の保管、書籍を編纂)を設置し身分関係なく優秀な人材を積極的に集めました。

英祖からの蕩平策を続け党派の争いを押さえこみ、自ら臣下を養成して再教育しました。

父親の件に深く関わったとされる者たちが謀反を起こし、洪麟漢を死罪、和緩を養子のフギョムと供に王族から平民に格下げして流刑とするが祖母にあたる貞純王后だけは儒教的な礼儀により処分できませんでした。

しかし、祖母につく老論派を一掃し1人では何も出来ない状況にさせました。

母親・恵慶宮洪氏に恵慶宮の宮号を与え、父親の身分回復のため荘祖という尊号を贈った。

正祖が設置した奎章閣には今まで身分制度により何も出来なかった人々が集まって文化を楽しみ、文治政治が社会全体に及び各分野で業績をあげました。

壮勇営(王室直属の親衛隊)を新設し兵権を握ると正祖が支持していた「南人」「少論派」「老論派(時派)」は賛成するが最初から敵対していた「老論派(僻派)」が完全に排除されることを恐れ政権を掴もうと団結します。

 

権力を持ちすぎた洪国栄

1779年、正祖は王世孫時代から側近だった洪国栄(ホン・グギョン)を流刑にしました。

正祖は賢い洪国栄に大幅な信頼を寄せ重大事を任せるだけでなく重大な官職も与えていきました。期待に応えていた洪国栄は権力が巨大化し妹の元嬪を正祖の側室にするが病で亡くなってしまったため正祖の異母弟である恩産君の長男を完豊君として亡き妹の養子とし世継ぎとして教育し始めます。

都承旨まで上り詰め外戚の地位を手に入れるものの勢道政治により敵を多く作り、ついに野心のために正祖の正妃・孝懿王后 を始末しようとしたのです。

重臣たちからは始末するべきだと意見が上がるが自分が王になれたことや、ここまでやってこれたのも洪国栄による功績が大きかったので命を奪うことは出来ずに流刑としたのです。

 

1789年、格上げとなった父の墓を風水を取り入れ楊州から水原に移しました。それにともない1794年から現在世界遺産とされる華城を築城しはじめ、定期的に参拝するが行幸の際には船を集めて浮橋を作り漢江を渡りました。

(墓の移動は25キロにおよび壮大な華城を約2年で建築したため莫大な経費がかかったはず、重臣が反対するのも理解出来るがそれだけ父への想いが強かったと思われる)

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1800年8月18日、

正祖は病により49歳で亡くなります。

病名が謎なだけに老論派(僻派)による毒説がある。
現に正祖が逝去すると11歳で即位した23代王・純祖の後見人となったのは貞純王后であり、垂簾聴政を開始すると正祖が支持していた南人や少論を一掃し老論派(僻派)が政権を握っている。

 

全話ネタバレあらすじ/イ・サン

 

派閥争い

1762年、朝鮮王朝21代英祖大王は200年ぶりの太平な世を権力で気付いていたが朝廷では老論・少論・南人に分かれ派閥争いが絶えませんでした。

少論派が思悼世子を担ぎ上げようとしたが老論派が世子の失脚を画策すると英祖は世継ぎの位を剥奪し米櫃に閉じ込めました。まだ幼い世孫イ・サンは米櫃に閉じ込められ六日も飲まず食わずの父親である世子に食事を届けようとします。

内侍の服装を着て向かうと同年代のソンヨンとテスと出会い2人に協力してもらいます。父親の優れた画師の才能を受け継ぐソンヨンは母を亡くしまだ赤ちゃんである弟を医師の家に養子にだし女官になるため宮廷入りしていました。またパク・テスは内侍修行中であったが去勢していないのが暴かれてしまい手術されるのが怖くなり内侍になるのを諦めます。

「描いた絵を飾り箱に閉まってあるから、それを王様に渡せば会ってくれる」

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世子の最期

世子に食事を届けに行った事がばれてしまい目撃されたテソが捕らえられたと知ったサンは恵嬪(サンの母)に助けを求めるが受け入れられません。世子が描いた絵を見付けたサンはソンヨンと供に宮殿を抜け出し捕らえられているテスを助け出し王様がいる雲従街に向かいます。

輿を止め米櫃に閉じ込められている世子に会いに行ったのは自分だと白状し誤解が解けるはずだからと世子が描いた絵を渡しました。

しかし…世子が亡くなった報せが届きます

サンの逃走を手助けしたソンヨンとテスは宮殿を出て行くことになり「宮殿から出られないなら自分達が行けるよう努力し世孫様を守ります」と言いました。サンは親友の契りを交わし2人が来るまで生きているから会いに来るよう伝えました。

 

サンが移送された東宮の割り当て金を使い果たし英祖は激怒し宮殿を出るよう命じるが身寄りのない子供達が売られるのを阻止するために使っていた事を知り命を取り下げました。

サンが東宮に移る前の住まいから武器庫が見付かります。

世子が謀反を企て武器庫が作られた噂が過去あった事から窮地に追い込まれるがサンはまったく身に覚えがありません。

世孫宮にいた者が厳しく取調べを受けます。

武器庫は誰が作ったのか調べるよう王命された内侍府尚洗のナム・サチョは役人パク・タルホ(テスの叔父)を使い調べさせます。

武器庫にあった銃は世子が亡くなった翌日に作られた事が分かり世孫を陥れるため軍器寺から横流しして作られた物でした。

銃の密売を調べていた者たちが刺客に襲われます。

ソンヨンとテスも力を尽くしてくれた事を知ったサンはナム・サチョに案内を頼み訪ねたが住まいは荒らされ姿はありませんでした。

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9年後の世孫

サンは幼い頃の親友(ソンヨンとテス)の夢をよく見ていました。

夜中に刺客が現れ護衛官は探すが英祖が東宮にやってくると何故かサンの寝床で死んだはずの刺客が消えていました。

サンは心を病んで幻を見ていると噂が広まるがサンは毒を飲んで死んだ刺客の口の中から毒を採取していました。

清国使節団との接見を任されサンは貢物に朝鮮絵画を用意させるため図画署(王室と朝廷の出来事を絵で記す官庁)の画員を増やすための採用試験を行います。

図画署で下働きをしているソンヨンは宮殿に入り世孫との再会を夢見ているが武科になるため訓練していたテスはどうせ覚えていないと投げやりになっていた。

刺客が飲んだ毒は図画署から流れていると知りサンは膳を振舞うため訪れ使いの者を潜入させます。

毒を盗んだ者を突き止め、自ら捕らえようと向かうがすでに殺されていました。

テスは盗人の手伝いをして朝貢船に襲撃を掛けるが、それはサンが用意した清国への貢物(白布)でした。

サンは宴を開き清国の大使が絵画を好むことで機嫌をとるため図画署に依頼すると署長とソンヨンがやってきます。

ソンヨンはやっと再会出来たと喜びますがサンは気付きませんでした。

清国大使は当初の倍の貢物を要求してきました。

自分が盗んだ件で世孫が窮地に追い込まれているとソンヨンから聞いたテスは貢物の在り方を探しソンヨンは持っていた黄布を白に染めればと思い付きます。

世孫は大使の要求通り貢物を渡す事ができお礼を述べに図画署に行くと案を考えた娘の名前がソンヨンだと知ります。

ナム・サチョに調べさせるとソンヨンはテスとタルホと一緒に住んでいる事が分かります。

サンは宴の時に気付かなかった事を謝罪しソンヨンとテスと感動の再会を果たしました。

 

世孫暗殺計画~英祖の最期まで

②代理摂政を行なう世孫/世孫暗殺計画

実の妹に父親は死に追いやられ自らも叔母に命を狙われていた事を知ったサンは代理摂政を命じられ商売の自由化改革を実施し専売商人と老論派の結託を示す証拠を掴もうとするが老論派に阻止されてしまう。そして命を狙われる
 

③黒幕が王妃だった知る王様の選択は/英祖の最期

世孫暗殺失敗に終わり王様から命じられたサンの側近グギョンは黒幕は王妃だと突き止める。王はどのような決断をするのか。父親の無実を証明したサンは王座になるのを阻止したい老論派を見事に跳ね返すが英祖は最期を迎えてしまう。

最終話の結末まで

④第22代王正祖の誕生/世継ぎのための側室選び

ついに王となったイ・サンは早速「私は思悼世子の息子だ」と言い放ち刃を向けてくる老論派を一掃するが権力を得ていく信頼する側近のグギョンの行動がおかしな方向に。世継ぎがいない事を心配する王妃は側室選びにソンヨンを推薦するが。
 

⑤最終話/信頼する側近の間違った権力/正祖の最期

世孫の時から側近として最も信頼していたグギョンが間違った権力に溺れついに王妃を暗殺しようとしてしまう。正祖はどのような決断をするのか。華城と顕隆園を完成させたサンは最期まで民のための改革案を考え続けた。