階伯(最終話)ネタバレあらすじ/百済への忠誠を守った英雄ケベク将軍!

作品情報/階伯ケベク

三国時代の百済の英雄ケベク将軍は武力だけでなく人格、知略に優れ少ない兵で大軍に勝利を重ねた人物で新羅の武将キム・ユシン率いる5万の大軍にたいして5千の兵で迎え撃ち4度闘い4度勝利した。独裁者の百済ウィジャ王のせいで百済は滅びる。

スポンサーリンク

 

階伯ケベク将軍(イ・ソジン少年期イ・ヒョヌ)義慈ウィジャ(チョ・ジェヒョン幼年期チェ・ウォノン少年期ノ・ヨンハク)サテク妃(オ・ヨンス)ウンゴ(ソン・ジヒョ幼年期チョン・ミンソ少年期パク・ウンビン)チョヨン(ヒョミン少女期ハン・ボベ)フンス(キム・ユソク)武王(チェ・ジョンファン)ムジン(チェ・インピョ)
 
「権力に溺れ朝廷を牛耳っていたサテクを一掃したにも関わらずウィジャの幼稚な嫉妬でウンゴとケベクの運命がすれちがう。ウンゴがウィジャの子を出産した事でケベクは戦に没頭し7年後には39の城を攻落し百済の英雄だと称えられていました。そんなケベクに対しウィジャは「まるで君主のようだ」と嫉妬が強まるばかり・・・」
までを詳しく紹介しました。
 
 
 

ネタバレあらすじ(最終話まで)

 

新羅の将軍

ケベクはチュンチュの部屋に毒香が運ばれるのに気付きウンゴの仕業だと見抜きます。警備を厳重にすると伝えると「この件から手を引いて、忠告ではなく警告です」と言われます。

夜中に刺客が現れチュンチュが脱走します。ケベクは追い詰めると刺客は百済から脱走し新羅人となったムングン(ケベクの義兄)でした。

剣を交えるがキム・ユシンが1万の兵を率いて現れました。

「チュンチュを救うのが任務のため退却する。今まで高句麗の戦で忙しかったがこれから奪われた城を取り返す」

ケベクは「新羅相手に刀を抜く必要がなかったがお前なら喜んで相手になる」と言い放ちました。

勢いにのったキム・ユシンに4つの城を奪われます。ケベクはカジャム城を守らず大耶城を責めるべきだと進言します。

成功すれば新羅の兵は徐羅伐(新羅の首都)に集まり高句麗の協力なしに党項城を落とせると説明するとこれ以上手柄を取られたくないウィジャ王は自ら率いると許可します。

見事に大耶城を落とすが、降伏してきたチュンチュの娘夫婦を斬首しろと命じられたケベクは「信義は味方だけでなく敵に対しても守るもの、破れば戦ではなくただの殺戮だ」と王命を断りました。

ケベクを投獄したウィジャは自らの手でチュンチュの娘夫婦を斬首し兵を率いて徐羅伐に攻め込もうとするが行方不明となります。新羅からの奇襲を受け孤立してしまったのです。

スポンサーリンク

 

太子争いが激化

ウンゴやフンスから助けるよう頼まれたケベクはウィジャを救い出すが宮殿に戻ったウィジャは重体で昏睡状態となります。

英雄ケベクが泗沘に戻ると民は喜びます。フンスとソンチュンは新羅との争っているためケベクを大将軍に就かせるよう権限のある王妃に頼みました。

王様が危険な状態で謀反も起こりかねない状況なため王妃はケベクを大将軍に就かせ百済を守るよう命じました。

太子争いが勃発しケベクはウンゴに頼まれるが中立の立場を貫くと断ります。ケベクはこの時に初めてウィジャの策略でウンゴとの仲を引き裂かれたのだと知ります。誓いを破ったウィジャではなくこれからは百済と民に忠義を捧げると決めたケベクはウンゴから授かり子供の時から大事に持っていた香袋を返しました。

政治巌会議で太子は王妃の息子テ王子と決まりウンゴが生き残るために頼れる者はウィジャだけとなります。

ケベクは王様の病状を漏らした貴族を捕らえるが太子擁立に貢献したとして王妃が放免してしまいます。フンスとソンチュンは長年の夢である民のための朝廷に変えるため井田制(孟子が理想とした土地制度)を実施しようとします。

貴族集団の台頭と横行を防げ、国も豊かになり負担が減った民から信頼を得られると王妃に進言します。

王妃の協力を得て会議が開かれるようになるがウンゴとヒョ王子を宮殿から追い出す法案を作成しろと頼まれます。

高句麗のヨン・ゲムソンと同盟を結んだケベクは刺客を捕らえるとテ王子を殺害するようウンゴが雇った者でした。ウンゴはどうせ死ぬのなら大将軍に斬ってほしいと願うがケベクは追放されないよう王妃と話すから無謀なことはしないようお願いしました。

 

大将軍を辞退し泗沘を去る

絶望的なウンゴだったがウィジャが目を覚まします。ウィジャの敵と自分の敵を消そうと結託したウンゴは追い出される時に最後に王様に挨拶したいと頼み王妃と共に訪ねます。

王様が目覚めた事を知らない王妃は「王様は亡くなったも同じ、テが王になった時は殉葬してやる」と言い放ちました。

王様の代わりに政治を行う王妃は高句麗との同盟のための勅書に王妃爾綬ではなく王印を使おうとします。

そこへ「いつから国の主となったのだ」とウィジャが姿を現します。

王様が病床にいる間に宴を開き勝手に国政を行なった王妃は息子と出家して人生をやり直すことを条件に罪を逃れます。

また政治巌会議の改編と井田制実施の主導の罪でフンスは宮殿を追いやられます。ケベクは昔に王様も夢見ていた事なのに何故罪になるのか言い放ちます。

ウンゴを奪ったのに何故復讐しなかったのかと問われたケベクは、もう兄ではないが百済を思いやる君主でいてくださる事が許せる唯一の理由だと言い捨て立ち去ります。

ウィジャは政治巌会議を廃止するとケベクはフンスを朝廷から追い出すべきではないとウンゴに進言します。

ウンゴは己の身を案じるべきで自分を守ってくれと頼むべきだと言います。恥ずべき事も過ちも犯していないケベクは頼まなければいけない事などない、強いて言えば王妃殺害を目論んだウンゴを許した事だけだと言い放ちました。

政治巌会議の廃止を反対する貴族(王妃が太子擁立に貢献したと放免した貴族)の一家を処刑し逆らえなくさせたウィジャに対しケベクは大将軍を辞退し泗沘を去るからフンスを復帰させるべきだと進言します。

ウィジャは条件を受け入れるがケベクを戦地に追いやり新羅との争いで成果を上げたら更に英雄扱いされると警戒します。これまでの功労を称えると説明しケベクを戦地から遠く離れた古西伊県の城主に任命しました。

ケベクは最後にウンゴを訪ね「どうか王様をしっかり補佐してください、そして賢明だったお嬢様に戻ってください」とお願いしました。

 

12年後、独裁者ウィジャのせいで国が滅びる危機

王妃擁立式が行われてから12年後、ケベクはチョヨンとその間に授かった子供2人と共に幸せに暮らしていました。

しかし百済はウィジャの嫉妬と独裁力のせいでケベクが戦で勝利し手に入れた40城のうち30城を新羅のキム・ユシンに奪われていました。

また王妃と太子の擁立を12年も唐から認められずウィジャは新羅に肩入れする唐と国交を維持しても意味ないとして国交断絶だと口にしました。大国を敵にまわし更に新羅が力を付けることで大臣たちは反対します。

ウンゴは唐に認めてもらうには新羅のチュンチュとキム・ユシンに唐への口添えを頼むしかないと思い使者を送るが高句麗の動向を教える条件では断られます。

 

国が危機に陥り独裁者だったウィジャ王はケベクじゃなくては国を救えないと反省しフンスとソンチュンに呼び戻すよう命じます。

ケベクは会いたくないと断ったためウィジャ王は自らケベクに会いに行きます。

二度と泗泚に戻るなと言ったのは王様であり手柄を立てれば結局は王様はすべてを奪うはずだとケベクは言い放ちます。

恐れ妬んでいたため追放するしかなくこれから脅威を与えなければ奪うことはしないと言う王様にケベクは王様の心が脅威と敵を作ったのだと答えます。

しかし百済と民を無視することはできずケベクは大将軍として朝廷に戻り王様から全権を与えられ軍の編成を組み直します。

 

百済に命を捧げる英雄ケベク

新羅の捕虜を処刑せず百済軍に編入し志願兵には兵役年数に応じ租税の免除を約束します。高句麗のヨン・ゲソムンと手を組んだケベクは退却するユシンを見事に包囲します。しかし以前命を助けてもらった借りを返すためケベクは見逃しました。

ケベクは勝利を重ね城を取り返していきます。凱旋を命じられたケベクは泗泚に戻り兄弟の契りを交わした4人で祝杯をあげます。

「父は王様の身代わりで死んだが私は百済のために死ぬ覚悟だ、私を疑わないと約束してください」と言うケベクに王様は「命を懸けて約束する」と答えました。

徐羅伐に戻ったユシンはケベクの動向さえ分かれば戦に勝てると進言しチュンチュは唐に王妃と太子の擁立を認めさせる条件でウンゴに接触しケベクの作戦を聞き出します。

ケベクは初めて戦で負けると大臣たちは不安になるがタイミングよく唐から擁立承認されたことでフンスとソンチュンは王妃を疑います。

 

ウィジャは重臣たちからの反対意見を聞き入れずケベクを投獄します。チュンチュから頼まれた長孫師が訪ねてきて百済と高句麗の同盟を破棄し確約書を書けと強いられます。王即位の承認を取り消すと言われ激怒したウィジャは「私は皇帝の家来ではない、同盟を結ぼうが貴様らに関係ない」と剣を突きつけ唐との外交を断ってしまいます。

唐が攻めてくる可能性があるためフンスとソンチュンは兵書を完成させるにはケベクが必要だと進言します。しかしウィジャは牢獄から案を出させろと命じました。

ウィジャが頑なに牢獄させるのは実はケベクから内密に頼まれていたからでした。ケベクはウィジャが内密に集めた兵を率いて油断するユシン軍に攻め込み見事に奪われた城を取り返しました。

「ケベク将軍を殺さなければ内通した事をウィジャに告げる」とチュンチュから脅されていたウンゴは自分が必要だと思わせる事ができ唐と百済の外交を保つような使者を送ります。

 

王妃の失態

王妃が密偵だと疑っていたソンチュンはウンゴの使者を捕らえ密書を奪うがウィジャを訪ねる前にウンゴに捕らわれてしまいます。罪を償うよう必死に説得するがウンゴはヒョ王子が王になったら謝罪すると告げ部下に始末させました。

悲しみに暮れるフンスはソンチュンなら証拠を残すはずだと気付くとウンゴが密偵である証拠を見付けました。

しかし証拠である密書を手にし罪を償わないウンゴを目の前にしてもウィジャは愛する者を処罰できませんでした。そんな王様に朋友を亡くしたフンスは縁はここまでだと言い放ち朝廷を去ります。

 

ケベクは泗泚に戻りソンチュンと最後の別れをします。フンスから「新羅の刺客に殺された」と聞いたケベクは「チュンチュと新羅を必ず滅ぼしソンチュンの仇をとる」とウィジャに告げます。

ウィジャが唐との外交を断った事で皇帝は百済討伐のため新羅に加勢することを許します。その頃ケベクのもとにチュンチュから密書が届きます。

「王妃の密書のおかげで城を楽に攻略でき、その代価として擁立承認を口添えした。腐った国に忠誠を誓う将軍に同情する。私は昔から将軍を敬っていた。私の臣下になってほしい。ソンチュンを殺したのは私ではなく王妃だ」

 

ケベクは都に戻りチュンチュから届いた密書をウンゴに投げ付けます。しかしウンゴに罪を償う気持ちはなく「王様はすでに知っている」と言いました。

ウィジャ王から「お前なら処罰できるのか?」と聞かれたケベクは「もちろんです。王妃のせいで8千の兵を失ったのです。国を売り大勢の命を奪った王妃を殺せます。」と答えました。

ウィジャは「フンスと同じように国のために口を噤んでくれ」と言いました。

しかしチュンチュが「王妃と新羅が内通している」と広めたため大臣たちも知ることになりウンゴは民から恨まれます。

スポンサーリンク

 

結末/階伯ケベク

会議が開かれ仕方なくウィジャ王は取り調べるよう命じるがウンゴの姿はありませんでした。

ウンゴはヒョ王子を倭国に逃がし新羅に向かうが逃げたわけではなく自分で責任を取るためチュンチュを毒殺しようとしていたのです。

しかし、新羅に足を踏み入れたウンゴは唐が2千隻(10万の兵)で百済に向かっている事を知り、国境を守る新羅軍に斬りつけられるがなんとか新羅から脱出しかつて自分の護衛でありケベクの妻チョヨンの家まで逃げます。

新羅と唐、合わせて20万の兵が攻めてくると知ったケベクはウィジャ王と大臣に伝えます。ウンゴは罪を償いチョヨンの付き添いのもと都に戻って「大罪を犯した私を許さないでください。この命で王様と百済にお詫びさしてください」と願い出ました。

ウンゴは投獄され大臣たちは早く王妃を処刑するべきだと進言するなかケベクは今王妃を処刑したら新羅の思うつぼであり処刑は先延ばしにして攻撃に備えるのが先決だと訴えました。

そこへソンチュンが完成できなかった兵書を仕上げフンスがやってきます。ウィジャ王から「このまま残って国を守ってくれ」と言われたフンスだが「今日参ったのは兵書を渡しお別れするためです」と答えました。

 

唐は12万の水軍、新羅が5万の兵で向かっていました。合流させないのが先決だとしてケベクはウィジク将軍に唐を先制攻撃するよう命じケベク軍は新羅を迎え撃とうとします。

しかし貴族が私兵を連れて逃げ出してしまいます。そのせいでケベクは5千の兵でキム・ユシン率いる5万を相手にしなければならなくなります。

ケベクは士気を高めるため必死に訴えるが圧倒的に数で劣るため兵士たち下を向きます。そんな時、妻チョヨンは「私を殺してから出発するのです。背水の陣を敷いてください。帰る所を無くせば兵士たちは士気が上がり決死の覚悟で戦います」と言います。

チョヨンは自ら命を断つ覚悟を持っていたためケベクは仕方なく後で会う約束をし剣を振り落としました。

ケベクは見事な計略で5千の兵で5万の新羅軍を相手に4度戦い勝利するが唐を迎え撃った百済軍が滅びたと報告がありケベクの兵も少ない状況です。

4度勝利した百済軍を誇りに思ったケベクは5度目の戦を前に「皆の勇気と忠心に頭が下がる思いだ。この戦いだけは国を忘れ故郷に戻るために戦え、絶対に死ぬな、生き延びろ」と命じました。

660年、最後まで百済への忠誠を守り勇敢に戦ったケベクは戦死し唐に滅ぼされた百済の故地は新羅に組み入れられました。終

 

韓国ドラマ
スポンサーリンク
鑑賞感想