映画「杉原千畝 スギハラチウネ」ネタバレあらすじ/ユダヤ人6000人を救った外交官の生涯

 

作品情報とキャストの紹介

ナチス・ドイツの迫害により行き場のなかったユダヤ人を救った外交官・杉原千畝の実話を唐沢寿明主演で映画化。

ソ連から北満鉄道の経営権を買取るため情報を集めていたが関東軍に裏切られ仲間を失う。

結婚して外務省で働くがヨーロッパの情勢を知るためリトアニア行きを命じられると独ソ不可侵条約やソ連の占拠によりユダヤ人がビザを求めて殺到した。

監督=チェリン・グラック ◆杉原千畝(唐沢寿明)◆杉原幸子(小雪)◆ペシュ(ボリス・スジック)◆イリーナ(アグニシュカ・グロコウスカ)◆南川欽吾(塚本高史)◆大迫辰雄(濱田岳)◆ニシェリ(ミハウ・ジェラフスキ)◆菊池静男(板尾創路)◆大島浩(小日向文世)

 

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ネタバレあらすじ/杉原千畝スギハラチウネ

 

昭和9年(1934年)満州国・ハルピン

にやってきた外交官・杉原千畝は満州鉄道譲渡交渉を進めるためロシア人イリーナととも諜報活動をしていました。

鉄くずを日本に売るためソ連軍は新型車両を盗み出す計画をしており杉原は手を組んでいた大日本帝国関東軍少尉・南川欽吾とともに証拠を掴もうとしていたが誰も殺さない約束をやぶり南川がソ連兵を銃殺してしまいます。

結果的に手柄をたてた事になる杉原だが今の満州国は日本国のためではなく関東軍のための国となっており辞表を提出して日本に戻ります。

 

昭和10年(1935年)東京

・杉原の功績は新聞でも評価されていました。

ソ連は共産主義という謎のベールに包まれており日本のためにも真実の姿を見極める為モスクワに行きたかったがペルソナ・ノン・グラータを発動されて入国ビザ発行を拒否され行かれなかった。

飲み過ぎた杉原は新聞記者の菊池静男の妹・幸子と出会い名刺を渡すと初めて名前を正しく読んでくれた事に喜び、またロシア語だけでなくフランス語、ドイツ語まで話せる杉浦は幸子から好感をもたれ付き合うようになります。

 

昭和14年(1939年)リトアニア・カウナス

への赴任が決定し結婚した幸子も同行します。

ソ連の動きを探る杉原は大日本帝国領事館で現地採用職人を募集するとドイツ系リトアニア人のグッジェが面接にやってきます。

ナチス・ドイツはソ連と独ソ不可侵条約を結びドイツはポーランド侵攻を開始したため同盟国である英国は撤退しないのなら戦争も辞さない構えであると明言しました。

酒場で出会ったポーランド人スパイ・ペシュが訪れ杉原は運転手として雇い諜報活動を開始すると独ソはヨーロッパを真っ二つにしようとしている事を突き止めます。

ベルリン在ドイツ日本大使館へ出向き駐ドイツ大使・大島浩に調べた事を報告すると密約に気付いた事を褒められ日本はドイツと手を組もうとしている事を知るが杉原はいつまでドイツが勝ち続けるのか疑問であった。

12月14日、ハヌカ(ユダヤ教 光の祭)に参加するとドイツ軍のユダヤ人狩りから避難してきた者が多数いました。杉原はソ連がリトアニアへ侵攻を開始するかも知れないから今のうちに避難するよう伝えるが何処が安全なのかと問われ言葉につまります。

 

昭和15年(1940年)ソ連がバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)を占領

し在カウナス・アメリカ大使館まで侵攻してきました。

ニシェリやユダヤ人は脱出をはかろうとするが各国の領事館は閉鎖されオランダ領事館もドイツに占領されているためビザを出す事は出来なかった。

西ヨーロッパはドイツが支配し行く場所がないユダヤ人が日本領事館にビザ発行を求めて集まりだした頃、イリーナが訪れ夫をシベリア鉄道で東へ行く人達に紛れ込ませて逃がしたいからビザを発行するよう頼まれます。

協力者以外のビザ発行を禁止されていた杉原はユダヤ人を無視し続けていたが、たかだか紙切れ一枚で脱出可能ならと独断でビザ発給する事を決めユダヤ人は喜びます。

日本国ビザ発給は通貨ビザであっても渡航費と日本での滞在費、そして最終目的地の入国許可が必要だったが杉原は領事館が閉鎖され国外退去する直前まで発給し続け必ず何処かでまた会いましょうと声をかけました。

 

9月 杉原は幸子と子供達とともにベルリンに向かいます。

日本はドイツとイタリアと三国同盟を締結しアジア進出の準備が整いつつあった。

ドイツに侵略された国々を見てきた杉原はドイツを信用する事は危険であり、いずれ不可侵条約を破りソ連に攻め込むはずだと言いました。日本が単独でアジアを侵攻すればアメリカと戦うはめになりアメリカに勝てる力は日本にはないと伝えるがヒトラーに忠誠心ある大島は聞く耳持たなかった。

JTB客船乗務員の大迫辰雄は次々と押し寄せる難民にこれ以上日本政府は受け入れられない事を伝えるが幼い子供も多く心を痛めます。

在ウラジオストク日本総領事館の根井三郎は杉原がビザ発給していると知り、すべての責任を取る覚悟で日本行きの天草丸に難民を乗せるよう大迫に指示しました。

 

結末「杉原千畝 スギハラチウネ」 

昭和16年(1941年)3月・船上で日本を肉眼で捉えたユダヤ人は国家を歌い喜びました。

5月東プロイセン ケーニヒスベルクに赴任していた杉原はペシュとともに暮らしながら諜報活動を続けドイツが国境に向かう車両を増やし予想通り不可侵条約を破る気だと察知しました。

ゲシュタボに命を狙われながらもなんとかベルリンに到着するが大島から報告を受けた日本政府は何もせず6月22日、ドイツがソ連へ侵攻開始しました。

第二次世界大戦中、六百万人のユダヤ人が虐殺されてしまいます。

12月、ソ連侵攻の情報を漏らした杉原は国外退去を要求されルーマニア行きを命じられた杉原は今まで命を掛けて諜報活動してきたのは無駄だったのかと怒りをあらわにしました。

日本はアメリカに戦争を仕掛け、そして負けるだろうと推測を述べ立ち去りました。

 

昭和20年(1945年)8月 ルーマニア ソ連軍捕獲収容所にいた杉原は日本がポツダム宣言を受け入れた事を聞かされます。

日本が負けた事を悲しむ杉原はイリーナから届いた手紙を読みます。

杉原のビザ発給により6千人ものユダヤ人たちが生き延び世界中に散らばり未来へとつながっている。

感謝の手紙を読み終えた杉原は自分がした事は無駄ではなかったと思います

昭和43年(1968年)10月

日本の外務省を追われた杉原は小さな貿易会社に勤めモスクワに来ていました。

命を救われたユダヤ人ニシェリは28年間杉原を探しており感動の再会を果たしました。

1985年1月18日 イスラエル政府より「諸国民の中の正義の人賞」受賞

1985年7月31日 86歳で杉原千畝は亡くなりました。

 

 

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