映画「1944 独ソ・エストニア戦線」ネタバレあらすじと結末/敵も味方もエストニア人

 

作品情報とキャスト

本国エストニア映画史上最大のヒットを記録しアカデミー賞外国語映画賞のエストニア代表作品に選出された。バルト海の東岸に位置するバルト3国のうちの1つの小国エストニアは1940年に独ソ戦で両国から相次いで占拠された。同じ国の人間同士、敵味方に分かれて戦うはめとなった若者たちの悲劇を描いた作品。

ドイツ武装親衛隊に属するエストニア人のカール・タミクの両親と妹はソ連赤軍によって極寒のシベリアに追放される。

1940年から始まったソ連による弾圧は多くのエストニア人が悪評高きナチス・ドイツに身を寄せるきっかけとなりカールもその中の一人となっていた。

一方、カールと同じエストニア人のユーリ・ヨギはソ連赤軍の上級軍曹であり1939年兵役によりソ連のエストニア国防軍に召喚されていた。

同じエストニア人であるカールとヨギは敵同士に分かれる形で戦場で遭遇する。

それはエストニアの独立が不可能な時代に起きた悲劇の戦いであった。

愛するエストニアの国土がドイツとソ連の戦車、地雷に埋め尽くされ、同胞同士のあまりにも苛烈な戦闘が続く。

監督=エルモ・ヌガネン◆ユーリ・ヨギ(クリスティアン・ウクスクラ)◆カール・タミク(カスバール・フェルベルク)◆アイノ・タミク(マイケン・シュミット)◆クリスチャン(ヘンリク・カルメット)◆カメンスキー(カール=アンドレアス・カルメット)◆サーレスティ(ゲルト・ラウドセップ)

 

ネタバレあらすじ/1944 独ソ・エストニア戦線

1939年にソ連とドイツが不可侵条約を締結すると1940年にソ連が併合したエストニアをドイツが占拠しました。

それにより多くのエストニア人が両国軍に動員される事になってしまい分裂する形となった。

ドイツ武装親衛隊に動員されたエストニア人部隊に属するカール・タミクは両親と妹が追放されたソ連と戦わなければならなくなります。

敵はソ連赤軍だがエストニア人もいるため3年以上戦ってきたカール・タミクは罪悪感で潰されそうになっていた。

 

1944年、エストニア人は敵味方に分かれる

エストニア国境にいるドイツ武装親衛隊に動員されたカール・タミク率いるエストニア人部隊は侵攻してくるソ連赤軍と戦っていました。

最も過酷なタンネンベルク線で戦うカール・タミク達は政府に讃えられるがエストニア人としての誇りだけは失わずヒトラーの写真を渡されても何の役にも立たないと思うのです。

ドイツ軍がエストニア本土から撤退する時に戦闘機による攻撃を受けます。避難中の住民が多数いる事でカール・タミク達はジープを譲り徒歩で目的地であるアヴィナーム近郊に到着します。

やがてソ連赤軍が洗車でやってくるがカール・タミクは戦っている敵がエストニア人だと気付き銃を降ろします。

しかしソ連赤軍に動員されたエストニア人のユーリ・ヨギの銃弾によりカール・タミクは死んでしまいます。

やがて互いに同胞だと気付き自然に銃撃戦が止まりました。

 

ユーリ・ヨギは死体を埋める時にカール・タミクの手紙を見付け同胞だと知ります。

ユーリ・ヨギはカール・タミクの家を訪ね手紙を渡しました。何故死んだのかを問われ自分の目の前で戦死したと答えました。

カール・タミクの手紙には家族がシベリアへ追放されたのは自分のせいだと書かれていました。

カール・タミクの姉と話をしているうちに追放したのは自分だと知ったユーリ・ヨギは自分の名前はトゥールだと偽りを述べ別れるが敵である民主主義者は報告するよう命じられます。

 

結末

ドイツ軍の撤退に伴い帰郷したらソ連赤軍に動員された者や脱走した補充兵がやってきます。

小隊長のユーリ・ヨギは死にたくなければ過去を忘れ黙っておくよう伝えました。ソルベ半島、ドイツ軍の最終防衛線での戦いは激しく大勢の死者が出ました。

ユーリ・ヨギはカールの姉に会ったが真実は告げられなかったと言うと殺したのはおまえではなく戦争だと慰められます。

ドイツに強制動員されていた脱走したエストニア人に会うとユーリ・ヨギは大佐から裏切り者は処刑しろと命じられます。

「僕には撃てない」

ユーリ・ヨギは大佐から射殺されました。エストニア部隊は全員が大佐に銃口を向けると家族全員収容所行きになるぞと脅されます。

しかし大佐はエストニア部隊に射殺されました。

その頃、カール・タミクの姉のもとにはユーリ・ヨギから真実を知らせる手紙が届いていました。

 

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