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<ネタバレ・あらすじ>映画やドラマ、小説などのネタバレになります。

「 コレクター 暴かれたナチスの真実 」< ネタバレ あらすじ >オランダ大富豪が持つ美術品は戦争中に将校と結託しユダヤ人から奪った品だった!

 

 

~注意~

●これから邦画・洋画・ドラマをご覧になる方は、

内容・結末を知る事になりますのでご注意くださいませ!

 

 

 

 

コレクター 暴かれたナチスの真実(字幕版)

 

ジャーナリストのハンス・クノープがペンを武器にオランダ屈指の大富豪を裁判へと追い詰めた実話を基に制作!

第二次世界大戦中、大富豪のメンテンはナチス将校と結託しユダヤ人一掃に関わり財宝を巻き上げていたのです。

戦後30年以上経ってハンスはどのように情報を仕入れ追い詰めていったのか?

監督=ティム・オリーフーク

◆ハンス・クノープ(ヒィ・クレメンス)◆ピーター・メンテン(アウス・フレイダヌス)=30代(アリアン・フォッベン)◆ベティ・クノープ(ノーチェ・ヘルラール)◆メタ・メンテン(カリーヌ・クルツェン)

 < ネタバレ あらすじ >

コレクター 暴かれたナチスの真実

 

1976年アムステルダム。

アートコレクターの大富豪ピーター・メンテンが美術品を売却するニュースが流れたころデ・テレフラーフのアクセント誌編集長ハンスの元に「あれはユダヤ人から掠め取った品だ」とタレコミが入ります。

一応情報を与えるが担当記者ヘンクは戦争記事はつまらない考えを持っており調べようともしませんでした。するとイスラエルのハアレツ紙記者ハビフ・カナーンから電話がありハンスが応対すると「メンテンは戦争犯罪者だ。ユダヤ人を大量虐殺したんだ」と言われます。

目撃者は多数いたのにオランダ政府に証言を伝えても無視されたんだと訴えるカナーンはメンテンに家族を殺されており力を貸してほしいと連絡してきたのです。

 

戦後メンテンはドイツの軍服を着ていた事で有罪になっていました。

ユダヤ人の証言は裁判では無視されており横領と虐殺の罪は調べたのか聞くとヘンクは証拠がないと人蹴りしました。

イスラエルの古物商シュティーグリッツがメンテンを擁護する証言をしており、ハンスは収集品の出どころを調べようと画廊に向かうと直接聞いてくださいとアポを取られます。

豪邸を訪ねるとメンテンは上機嫌で迎えてくれます。

美術品が数多く飾られておりメンテンは売買で集めてきたと話し出すがハンスは「イスラエルのジャーナリストが美術品横領とユダヤ人虐殺で告発記事を書いている」と伝えます。

メンテンと妻メータは「共産主義者に全部奪われナチスの支配下にあったクラクフに逃げた。ユダヤ人は資産を売却して逃げていたので私は助けるために買ったんだ」と説明しました。

メンテンは食料や証明書類を手配してあげてユダヤ人から感謝を伝える手紙を持っていました。

 

多くのユダヤ人を助けたんだと平然としているメンテンを見てハンスは本当に正しい情報なのかと疑うがユダヤ人からの手紙の中にシュティーグリッツの名前があったのを気にします。

またメンテンは誤解を解きたいとしてフライトもホテルも用意するからイスラエルの記者に会いに来て欲しいと伝えてくれと言いました。

しかしカナーンは裁判の時に会うと断り、ハンスは伝えると25000ギルター払うから記事を非公表にしてくれとお願いされます。

 

戦争公文書研究所にレネから連絡をもらい会いに行くとメンテンは1949年の有罪判決後に戦争中や戦後に美術品を奪われたと逆提訴しオランダとドイツ政府から賠償金を受け取っていました。

また予備審査を行ったルーリング予審判事に対しても文書偽造で逆提訴していました。

ルーリングに会いに行き事実であるならば裁かれなければならないと伝えるとメンテンを捜査していたピート・ファン・アペルドールンに会いに行こうと言われます。

 

メンテンはウィーゼンタール基金に寄付するから記事を書くなと圧力を掛けてきます。

またメンテンの妻メータはハンスの家族に接近し「何の得にもならないから記事を書くのを止めるよう伝えてくれ」と言ってきました。

しっかりと断ったハンスはルーリングと共にピートの家を訪ねます。罪を償わせるなら今しかないと訴えるがピートは金で何でも解決できてしまう恐ろしい男だと嫌がります。

当時、国内軍の指揮官だったピートは1645年にナチス協力者だったメンテンと当時の妻を逮捕し、家に頻繁に出入りしていた軍人シェーンガルトも逮捕しました。

シェーンガルトが英国で処刑される前にピートは面会に行きドイツ軍服を着た男の写真を見せると彼は「メンテンじゃないか」と言いました。

話を聞いていたハンスは写真をどこで手に入れたのか聞くと、メンテン邸で見つけたが他にもナチスの協力者である証拠が多くあったと言いました。

ヒトラーに宛てた手紙も発見し法廷にすべて出したが来世紀まで非公開という法律があるため現在確認できません。

ピートは裁判で勝てないと分かり証拠をすべてコピーして密封して埋めていました。

ハンスはどうしても拝見したいと願い出ると覚悟を見せろと言われます。

 

メンテンは刃向かう者は全員訴えているため悩むハンスだが自分はジャーナリストであり罪を償わせなければならないと決心し記事を出しました。

そしてピートから証拠となるコピーを手に入れニュースで流れると当時の目撃者ハウプトマンなどもインタビューに答え出します。

ピートの家に捜査担当ヴァウタースがやってきたのでハンスも同席します。今逮捕しても証拠不十分で釈放になるから数ヶ月徹底的に調べる事が分かり、それでは引き渡し条約のない国に高飛びされるとハンスは警戒します。

 

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法務省が動くまで掲載を続ける覚悟のハンスは省庁主催パーティーに足を運び法務大臣と会わせてほしいとお願いします。

30年前に不問に付された事を気にしていたが今は擁護者もいないと訴えるとメンテンの捜査を指示してくれました。

訴えられるのを阻止するためメンテン側に立った記事をヘンクは書き始めます。

 

メンテンに会いに行った時、彼は水球選手だった弟ディルクは死んだと言っていたがカンヌで生活している事が分かります。

なんでそんな嘘をついたのか気になったハンスは連絡すると断られたが強引に会いに行きます。

メンテンはポーランドのソポト村にある森を開発し地主と契約したが仲違いすると「この家は人民のものだ」と共産主義者が押し入ってきて殺されそうになります。

知り合いの軍人に助けてもらうと妻を祖国に返しメンテンは資産を守るためにクラクフへ移動しました。

高額な絵アントン・メングスを担保に領事から金を借りようとしたが領事は工場経営者でもありオランダに戻るから後任にどうかと誘われます。

メンテンはポーランド語を話せる事でシェーンガルト少将からリヴィウに行くから通訳してくれと頼まれました。

リヴィウはユダヤ人が美術品の売買をしている地です。

メンテンはそのあと美術品をオランダへ運び戦後逮捕され美術品を盗まれたが莫大な保険金を得たのです。

弟ディルクの美術品もあったがメンテンは独り占めしたのです。

ハンスはシュティーグリッツを知っているかと聞くとユダヤ系ポーランド絵画の専門家だと分かります。

 

ディルクは戦争中はベルギーでドイツ人と商売していてポーランドにいるメンテンとは会っていないのでユダヤ人一掃に関わっていたのかは分からないと言いました。

しかし自分が死んだことにされていると知ったディルクは戦争中にパリで会った時のことを暴露してやると言いました。

 

メンテンの元運転手に確認、そしてナチスの幹部の証言を得たハンスはヴァウタースと共に大臣に会いに行くが国外の犯罪だし30年以上も前なので戦争犯罪法廷は開かないと言われます。

完全にクロだと確信するハンスは「当然断りましたが、かつての反ナチ運動家にメンテン暗殺を手伝えと誘われたから急がなければ」と伝えました。

 

ポーランドはソ連の領内(当時の話)であり、検察が現地で情報を収集すると知りハンスもビザを申請します。

ハンスはイスラエルの反共主義政党に入っているためナチ犯罪の調査とはいえ申請却下されるのではと頭をよぎるがソ連はビザを出してくれました。

現地に行くと土が掘り起こされ白骨化された頭蓋骨が並んでいました。目撃者はハート形の穴から覗いていたと発言していたのでハンスは辺りを見渡すと確かにハート形の穴がありました。

また1939年に住んでいた住民もいて何枚かの写真を見せるとメンテンの写真を指さしました。

メンテンがユダヤ人一掃に深く関わっていた証言を得たハンスは埋められた証拠の写真を撮って帰国します。

 

裁判で重要視されるのは司法当局による調査結果だが何故か検察の方にはビザはおりませんでした。

メンテンに逃げられると警戒したハンスは記事にしようとするが起訴に向けて準備時間が欲しいと言われ1週間待つから国外へ逃げないようにしてほしいと伝えました。

自宅で記事の準備をしているとヴァウタースから電話があり明日メンテンが逮捕されると知らされます。

ハンスはメンテン邸で張り込みをするが家には誰もいませんでした。

取り逃がしたのは国の恥でありメンテン事件を軽視しパスポート没収もせず逮捕を先延ばしにした法務大臣は非難を浴びます。

 

シュテルン誌からメンテンの潜伏先を掴んだと情報をもらいハンスは検察と共にスイスのウスターに向かいます。

ヴァウタースは偽名だが間違いないと言って中に入りハンスはロビーで待機してメンテンを写真に収めました。

 

「親衛隊の戦争犯罪、大富豪メンテンがスイスで逮捕」

 

3ヶ月後、拘置所ハーフランデン。

メータは面会に行くと資産はすべて君のものになるから離婚届にサインしてくれと言われます。

ハンスは「メンテン事件」出版記念パーティーで1年間仕事に没頭させてくれた妻ベティに感謝を伝えました。

 

1977年、裁判には目撃者、そして家族を殺され30年追い続けていたカナーンが証言台に立ちました。

カナーンはパレスチナに移住する前のポーランド時代の名前はリーバー・クルムホルツでメンテンとは狩仲間でした。

ユリッチ村やポドロジェ村でユダヤ人一掃があり責任者はメンテンだと聞かされたと話すがメンテンは知らない人物ででっち上げだと言いました。

またハンスは周りが見えてないとして編集長の座を降ろされヘンクは擁護記事を書き続けます。

弁護側の証人にはハンスのパートナーであるカメラマンのヨングストが立ち「ソ連当局は我々を監視しハンスが演出をした」と言いました。

ヨングストは買収されたのです。ハンスは撮影代は払ったし本の出版社も権利料は払ったはずだと怒ります。

 

ハンスは「やらせ」「メンテンの殺害未遂に関わっている」と疑われマスコミに追われる事もあったがメンテンは禁錮15年に処されました。

ヘンクが自分の身辺を嗅ぎまわっている事を突き止めたハンスは退職します。

〜1年後、独立したハンスの事務所にヘンクが訪ねてきて「控訴が決まりまた裁判になる」と言いました。

1651年にメンテンは法務大臣と司法取引を行いイスラエルによる引き渡し要求も却下された事を当時の弁護士の妻が証言し罪は不問に付され釈放になりました。

しかし、国民は許さず「メンテンを刑務所へ」とデモが起こります。

前の弁護士も疑わしく検察側が上告し再びメンテンは法廷へ立ちます。

1980年、メンテンは現場にいたのはディルクだと言い弟の元妻と娘が証言台に立ちました。

ベルギーにいるディルクを訪ねたハンスはパリで何があったのか聞きます。

ナチスの敗北に怯えていたメンテンから今までの行いをすべて聞かされたディルクと母親は公証人のところで文書にしていました。

これが証拠となりメンテンに禁錮10年、罰金10万ギルターが科せられました。

 

3分の2の刑期を終え1985年にメンテンは出所。

認知症を発症し3年後に介護施設で死亡しました。

メンテンを連日見舞っていた妻は2016年90歳で亡くなりました。

"メンテンとシェーンガルトはユダヤ人やポーランド人から美術品を奪っていた。1941年の夏リヴィウ近郊でメンテンは何度も処刑を行い約1000人を殺害していた"