映画「炎の戦線エル・アラメイン」ネタバレ結末/北アフリカ戦線でイギリス軍に敗北したイタリア軍新兵

 

作品情報・キャスト

北アフリカ戦線の戦いをイタリア軍の視点から描いた作品。

北アフリカのエル・アラメインでイギリス軍を主力とした連合軍とドイツ・イタリア軍が衝突していました。イタリア軍の歩兵陣地に志願した学生セッラは着任すると本隊に見放され武器も食料も不足するなか戦っていた。

監督=エンツォ・モンテレオーネ/セッラ(パオロ・ブリグリア)リッツォ曹長(ピエルフランチェスコ・ファヴィーノ)フォオーレ中尉(エミリオ・ソルフリッツィ)スパーニャ(ルチアーノ・スカルバ)デ・ヴィータ(トマ・トラバッチ)

 

ネタバレあらすじ

炎の戦線エル・アラメイン

 

第二次世界大戦。

北アフリカのエル・アラメインでイギリス軍を主力とした連合軍とドイツ・イタリア軍が衝突。

1942年10月、パレルモ出身の大学生のイタリア人セッラは前線で兵士が必要だと知り使命感に燃え志願しました。

パヴィア歩兵師団第27連隊に配属されるとフォオーレ中尉から「交代要員が10人来ると聞いていたのに1人だけか…」と言われます。

真水2リットルが入った水筒を持っていたので「一口くれ」と言われたセッラは少し戸惑いながら差し出します。

リッツォ曹長の部隊に加わる事になり伍長に案内されるが伍長からも「水をくれ」と言われます。イギリス軍が上空に現れセッラは隠れるが伍長は「狙い撃ちしてくる時は音が違う」と平然としていました。

しかし、再び上空に戦闘機が現れると伍長は「危ない伏せろ!」と叫び砲撃により戦死してしまいました。

リッツォ曹長から「辿り着いただけでも奇跡だ。運を使い果たしたな」と言われます。

 

前線から見えるカッターラ低地方面は危険はないが有刺鉄線の向こうには地雷原がありその先がイギリス軍がいる危険地帯でした。

敵からは見えるがこちら側からでは見えないらしく日中は体勢を低くして夜中に移動するよう言われます。

「赤痢になっても全員なってるから報告するな」

「サソリには気を付けろ」

敵に劣る武器しかなく、顔は貴重な水がもったいないので砂で洗い、食料も運が良ければ届くような場所でした。

倒すべき敵の顔を一向に見る事がなく戦場という実感がしないセッラだが喉の渇きや赤痢と戦い自分自身を見失わないよう心がけます。

 

イギリス軍の急な攻撃で兵士が次々と戦死していきます。電話線の修理に向かった兵士が狙撃された事で陣地に潜入されている事を知ったリッツォ曹長は破壊された車の裏に隠れているのを目にします。

セッラは迫撃砲を持ってこいと言われ急いで低い姿勢を保ちながら走ります。リッツォ曹長から命じられたタロッティが命中させ窮地を脱しました。

砂や虫が混入されている粥が届きます。数千キロ離れたリビアから届くので無理もありません。

連戦連勝を誇るドイツのロンメル将軍が率いているから大丈夫だと訴える兵士もいるが武器も水も届かないので精神を保つだけで苦労します。

セッラ、スパーニャ、デ・ヴィータ、タロッティはリッツォ曹長に率いられ夜中に偵察に出ます。

セッラは地雷を踏み身動きとれなくなるがリッツォ曹長が確認すると300キロの重量に反応する対戦車用の地雷だったため助かります。

 

エル・ダバへ向かう特別輸送部隊が砂漠に迷いエル・アラメインに迷い込みます。

フォオーレ中尉は馬が一頭いる事を確認し食料にしようと思います。お偉いさんの馬であり反対されるが「こちらは砂と尿しか口にしていないんだ」と訴え黙らせます。

率先して馬を殺そうとする兵士がいないので仕方なくフォオーレ中尉は銃を取り出すが結局は馬を殺すことが出来ませんでした。

 

水を補給するため前線を離れたリッツォ曹長、セッラ達だったが油が入っていたタンクに入れられており飲めたものではありませんでした。

海で泳ぐのは軍法会議にかけられるが長いこと入浴していないので40キロ先にある海に向かい裸になって飛び込むと久しぶりに笑顔を見せます。

浜辺に寝転がり「戦争終わるまで隠れるか」と話していると「そこは地雷原だから早く離れろ」と注意を受けます。

見張り役をしていたセッラは偶然にもラクダを見つけ銃殺して持ち帰ると久しぶりの肉に喜ばれるがフォオーレ中尉だけはイギリス軍が地雷原にわざと放したのだと気付きます。

 

連絡して新たに地雷を設置するがイギリス軍が攻めてくるから用心しろと言われ戦車は北部に送られると知らされます。

やがて低地側から責めてこないか調べて来いと指令を受けリッツォ曹長はブドウィンでも通り抜けられないので不可能だと訴えます。

しかし、フォオーレ中尉は「司令部からの命令だから仕方ない。幸運を祈る」と言いました。

リッツォ曹長から一緒に来るよう言われたセッラは低地に向かい50度を超える海面下を10キロ歩くと蜃気楼を目にします。

 

10月23日、満月の夜、

リッツォ曹長とセッラが戻ると多くの兵士が砲撃の雨にさらされ戦死したと知らされます。第185空挺師団フォルゴーレと合流して攻撃に備えているとイギリス軍による一斎砲撃をくらいます。

イタリア軍は火炎瓶と地雷だけという絶望的な状況のなか運良く生き残った兵士が反攻を効果的に阻害しました。

「勇者としての死は幸運」だと学校で教わっていたセッラだが死が美しいなんてのは嘘であると思い知ります。

 

結末

連戦連勝を誇っていたロンメルは総退却命令を出しドイツアフリカ軍ははじめて敗北します。

退却と言ってもトラックも何もないので50度を超える砂漠を永遠と歩き続けます。

トラックで移動するドイツ軍はイタリア軍を荷物扱いしているので余裕があっても乗せてくれませんでした。

途中、野戦病院に到着するとセッラ達は負傷兵に紛れてトラックに乗り込みます。

しかし、イギリス軍があちらこちらにいてセッラ達が乗るトラックも戦闘機から攻撃を受けます。

生き残ったセッラ達はトラックを失い再び歩き始めるが恵みの雨が降り空に向かって口を大きく開きます。

 

撤退場所が次々と変わり砂漠を彷徨うと次々と兵士は倒れていき、イギリス軍に投降していきます。

フォオーレ中尉、リッツォ曹長、セッラは、母国に帰る望みを持ち投降しないで歩き続けます。

フラフラの状態のなか偶然にもトラックとバイクが捨てられていました。バイクの方はガソリンが入っており何回か試みるとエンジンがかかりました。

しかしフォオーレ中尉は「もう動けない。2人でいけ」と言いました。リッツォ曹長は「中尉のそばにいる。1人で行け。」とセッラに命じました。

セッラは「必ず車で戻ってくるから」と言いバイクを走らせました。

アラメインでの戦いは1942年10月23日から11月4日まで続きました。

イタリア軍とドイツ軍、計10万4千の兵が19万5千の兵を誇るイギリス軍と戦いました。

死者9千、負傷者1万5千、捕虜3万5千となり、

イギリス軍は死者4600、負傷者8500でした。

ブレーシア、フォルゴレ、パヴィアの3個師団からなるイタリア第10軍団は南部地区から退却中に壊滅しました。

 

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