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<ネタバレ・あらすじ>映画やドラマ、小説などのネタバレになります。

「不滅の恋人」全話の<ネタバレ・あらすじ>を纏めました~「重要人物 キャスト」 モデルとなった首陽大君とは?

 

 

~注意~

●これから邦画・洋画・ドラマをご覧になる方は、

内容・結末を知る事になりますのでご注意くださいませ!

 

 

 

 

朝鮮王朝第4代王・世宗の息子として生まれた首陽大君と安平大君がモデルとなっており王位を巡る争いで首陽大君がクーデターを起こし敵対勢力にいた弟の安平大君を始末しています。韓国では兄弟の悲劇として有名らしいですがドラマの内容はどうなっているでしょうね。

 

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愛が絡み合う国を二分化する兄弟の戦い

 

書画の才能がある心優しいイ・フィ(ウンソン大君)は権力にはまったく興味がなく愛するチャヒョン(両班の娘)と祝言を挙げ静かに暮らそうとしていたが兄イ・ガン(チニャン大君)が野望を抱いていた事で大妃様によって政治に巻き込まれてしまう。

イ・ガンは幼い頃に病弱な長男の王位継承を脅かさないように宮殿を追放されて育ち伯父のヤンアン大君に唆されて育ちました。王が亡くなったあと、大妃様は自分を王にするつもりはないと知り幼き世子や弟の愛するチャヒョンを狙い出す。

ついに心優しいイ・フィは国や愛する人々を守るために兄と戦うことを決心する。

 

< 重要人物・キャスト >

 

●イ・フィ=ウンソン大君

(ユン・シユン~子役チョン・ジンソ) 

第三王子。幼い頃から詩や書画の才能があり王宮で周囲に愛され育つ。

優しい性格で権力に興味はなく愛する人と平凡な家庭を築くことを望んでいるが骨肉の争いに巻き込まれる。

大妃様や国王から王位継承者であるまだ幼い甥を守ってほしいと遺言を託され、何度も命を狙われた事で戦う決意を固める。

 

●イ・ガン=チニャン大君

(チュ・サンウク~子役チェ・グォンス)

イ・フィの兄、第二王子。幼い頃に病弱な長男の王位継承を脅かさぬよう王宮を追放され孤独な日々を送る。

権力を握りたい伯父ヤンアン大君に操られ徐々に憎しみが増し弟が愛する者や王の座を狙いはじめる。

武芸に優れるが傲慢でプライドが高く部下からも恐れられる。

 

●ソン・ジャヒョン=チャヒョン(チン・セヨン)

両班(貴族)のお嬢様。絵を描く事が好きで偶然出会ったイ・フィと両想いになるがイ・ガンからも愛され邪魔される。

 

●ルシゲ(ソン・ジヒョン)

女真族の娘だが母親が朝鮮民族だったために蚊帳の外扱いで孤独に育つ。

野性味あふれる強さを持ちイ・フィに一途。

 

●ユン・ナギョム(リュ・ヒョヨン)

チャヒョンの親友で王族との結婚を夢見てイ・ガンの妻となる。

やがて王妃になる夢を持つがイ・ガンに愛されるチャヒョンに嫉妬し冷たく接するようになる。

 

●大妃シム氏(ヤン・ミギョン)

病弱な世子を確実に王位にするためイ・ガンを王位に据えようとする勢力を押さえる目的で幼い次男を王宮から追放する。

 

●ヤンアン大君(ソン・ビョンホ)

幼くして追放されたイ・ガンを唆し権力を握ろうとする。

 

●キトゥク(ジェホ~子役チョン・ジェヒョン)

イ・フィに忠誠心ある側近。

 

●イ・ヒャン

イ・フィとイ・ガンの兄。世子から国王へ。

 

ところで、モデルとなった 力尽くで第7代国王となった首陽大君(スヤンテグン)はなんで燕山君のようにならなかったのでしょうか。

聖君として評価される第4代国王・世宗の次男とは思えない行動です。

諡号がないのは燕山君と光海君だけです。もし返り討ちにしたのなら燕山君は史上最悪とはならなかったのか。

 

モデルとなった首陽大君はどんな人物だったのか?

そんなのいいから「不滅の恋人」のネタバレが読みたい!!って方は寂しいですが「 こちら」 からどうぞ。

 

<権力欲しさに王の座をずっと狙っていた>

1450年2月、53歳で世宗が逝去すると長男が第5代王文宗として即位しました。

文宗は学問や知識に優れており父親に似ている事から期待されてはいたが子供の頃から身体が弱く在位期間は2年でした。

先がないことを悟る文宗は首陽大君を警戒し領議政の皇甫仁(ファンボイン)と左議政の金宗瑞(キムジョンソ)に11歳の長男を補佐するよう遺言を残しました。

既に警戒されていた事から首陽大君は王の座を狙っていた事になる。

6代国王の端宗はまだ幼く、このような場合は垂簾政治(母親が後見人となり政治を行う)となるが出産直後に亡くなっているので文宗も信頼する重臣に遺言を託したのでしょう。

 

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<最年長の王族となった首陽大君>

端宗を補佐する名目で絶対的な権力を得る皇甫仁と金宗瑞。

これは王族の弱体化を意味すると敵意を持った首陽大君は王族が政治を行うべきだと訴え不満を持つ武官などを集め勢力を伸ばし虎視眈々と時機を伺っていました。

それを察した皇甫仁と金宗瑞は世宗の三男・安平大君を取り込み国を二分化した権力争いが始まることになります。

皇甫仁と金宗瑞は確かに権力を得るが権力を振るって政治を我が物にしている様子はない。首陽大君が王座を狙い名文が欲しかっただけではないだろうか。

首陽大君は勇者であった金宗瑞の屋敷におしかけ父親共々始末するとすぐに王宮に向かい「安平大君を王に据えようと謀反を企てていたので始末しました」と王様に告げました。

まだ幼い端宗は自分を補佐してくれていた金宗瑞が始末されたと聞いておびえてしまい首陽大君に言われたように王命を発令してしまいます。

こうして王宮に集まってきた敵対する高官や皇甫仁を始末し江華島に流した安平大君も始末しました。

1453年のこの政変を癸酉靖難ケユジョンナンと呼ぶが国難は首陽大君自らが起こした事でありこれを平定したとは疑問が残る。

 

< 世祖として王座に就く首陽大君 >

領議政や吏曹判書、兵曹判書など兼任し政権を掴んだ首陽大君は兄である息子・端宗王を上王に祭り上げ1455年に世祖として7代国王となりました。

< 返り討ちにする世祖 >

当然、こんな事は許されないと学者である成三問が同志を集め端宗復位を図るが世祖始末計画がもれてしまい失敗に終わります。

しかし首謀者である成三問ふくめた6人はどんなにごう問を受けても最期まで世祖を王とは認めず謝罪しませんでした。信念を守り端宗への忠誠心が最期まで揺らがなかった事で始末されたあと「し六臣」と讃えられるようになるが始末された者は70名になる。

世祖は端宗の上王を廃位し魯山君に降格させ江原道寧越へ追放しました。

これに我慢の限度を超えた世宗の六男・綿城大君が端宗を復位させようと政変を計画するが失敗に終わります。

世祖は綿城大君を始末し、魯山君が生きているかぎり再び復位騒動が起こると警戒して魯山君を庶人に降格させ始末しました。

1457年、16歳で「始末」となった端宗は241年後の粛宗(19代国王)により名誉が回復されているが11歳で王になり伯父に「迫られ」更に政治に巻き込まれて16歳で始末されるとは・・・。

 

こんな非道をく繰り返した世祖は王となり何をしたのか?

経国大典の編纂を開始したが王権を安泰させて強化するため反対 勢力をごう 問や刑 罰で粛 清しただけではないか。

しかも党 争の始まりとなったのがこの頃で首陽大君に優遇された勲旧派が権力を振るうようになった。

世祖のご逝去後、長男だった懿敬世子が19歳で亡くなってしまったため次男の睿宗が18歳で即位するが彼も19歳で亡くなります。非 道を繰り返してきた事から「祟り」と騒がれるようになった。

世祖の正室・貞熹王后尹氏の存在

貞熹王后が王妃になりたいために首陽大君の背中を押したのではないか。

睿宗の逝去後、絶対的な権威を持っていた貞熹王后は睿宗の息子は3歳と若すぎるため後を継がせず懿敬世子の息子を推薦しました。16歳の長男・月山君ならまだしも垂簾聴政が行えるよう12歳だった次男・者山君を選んだのです。

睿宗の息子が継ぐのが当然であるところ権利を亡き懿敬世子に移行してから更に次男を選ぶなんて普通ではできないことです。そんな事ができたのは貞熹王后の側近には世祖が王位に就くのを手助けした勲旧派の首領で外戚として王朝の実権を奪取していた韓明澮がいたからです。

 

諡号があるのは継いだのが次男、そして孫へと続き実権を握っていたのが世祖を王にするために活躍した功臣だったから以外考えられない。

政変を起こそうとしたのは自分が王になるためではなく端宗を復位させるのが目的だったものしかない。