「キングダム戦国の七雄」5話6話ネタバレあらすじ&視聴私感

中国時代劇「キングダム戦国の七雄」

500年以上も続いた春秋戦国時代の終焉と大秦帝国誕生までの壮大な物語

人気漫画「キングダム」の舞台となっている春秋戦国時代末期、大陸で覇を競った戦国七雄の興亡をリアルに描いた本格派歴史ドラマ!!!

燕国篇、趙国篇、楚国篇、韓国篇、魏国篇、斉国篇、秦国篇の全7話構成され、それぞれの国と王にスポットを当てたドキュメンタリー。

監督・脚本は「復活的軍団(原題)」で多くの賞を獲得したジン・ティエムー。中国の動画レビューサイト「豆瓣」では10点満点中8.1点、中国版「ゲーム・オブ・スローンズ」と称された。

 

キングダム戦国の七雄/全7話あらすじ一覧

全7話で紹介

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ネタバレ私感/キングダム戦国の七雄

趙雍/武霊王(ユー・ロングァン)姫職/昭王(ワン・ジンソン)熊槐/懐王(リン・ヨンジエン)公孫鞅/商鞅(ユー・エンタイ)申不害(ハイ・イーティエン)魏斯/文侯(ケント・チェン)田地/湣王(リー・リーチュン)など

 

5話/魏編・士人たちの呪い

春秋時代末期、孔子の弟子・子夏は学問と仕官の両立を唱え政治は時代と共に進むべきだと訴えます。魏国初代君主・魏斯を弟子に迎えた子夏は初めて国師の称号を得た士人となります。

貴族のような富を持たず学問と文化に身を捧げる士人たちにとって子夏は魂の師であり西河学堂には士人たちが押し寄せ、西河学派が誕生します。

魏斯は平民出身の李悝を登用し大改革に乗り出すと貴族の特訓を奪い土地を平民に分け与えます。能力を発揮し貢献した者が名誉や利益を得ることになり、周以来600年にわたる階級社会を破壊しました。

 

平民出身の楽羊は3年をかけて中山国を滅ぼしたが息子の肉を食らい道徳心は功名心に潰されていました。人が変わってしまった楽羊に魏斯は3年間届いた弾劾状を見せ叱責します。

平民出身の呉起も西河学派の1人であり妻を殺した事で悪名が高かったが魏斯は重要視し取り立てました。呉起は世にもまれな才人であり烏合の衆が瞬く間に大軍へと変わっていきました。

紀元前404年、魏斯は魏、趙、韓の3軍を率いて斉の長城内に攻め入り康公を投降させます。紀元前403年、洛邑にいる周の天子に謁見すると諸侯として封じられ正式に魏国が誕生すると戦国時代の幕が開きます。

 

魏斯は平民出身の士人を完全には信用していなかったために相邦に魏成を選びます。西河学派で中核を担ぐ田子方は傲慢な態度を取り、魏斯の息子・魏撃にとっては気に入らない存在となります。

呉起は幾度も秦を破り5万の兵で50万の秦に痛手を負わせ黄河の以西は魏のものとなります。魏撃が君主となり田文が相邦となると多方面で功績をあげていた呉起は怒りを隠せず魏を離れ楚へ向かうことになり、魏は偉大なる才能を失うことになります。

数年後、楚の相邦となった呉起に攻め込まれ痛手を負うことになってしまいます。

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紀元前361年、3代君主・恵王は相邦の公叔痤を亡くすと彼の推薦を無視し公孫鞅を手放します。そのころ龐涓は才能ある斉の孫臏を招き、濡れ衣を着せて拷問し立てなくさせるが彼は斉の使者に助けを借りて逃げ戻ります。

孫臏が軍師として取り立てられると復讐を開始し紀元前341年に10万の魏軍は破れ龐涓は自死しました。

紀元前340年、統帥の魏卬は国境で秦に身を寄せた公孫鞅と会うが罠に嵌り大敗します。公孫鞅の変法により秦は覇者への道を進み儀は最初の餌食となります。

西河学派の士人は魏出身でありながら大部分が魏の敵となっており、秦の相邦となった魏出身の張儀は連衡策を用いて魏を蚕食していきます。

紀元前320年、恵王は長寿であったが在位した52年の間に覇者の地位を失い再起不能となっていました。

 

紀元前276年、范雎は大志を抱いていたが貧しく仕官もできませんでした。須賈の食客となるが斉と内通している濡れ衣を着せられ相邦・魏斉から痛めつけられると秦の使者の助けを借りて咸陽へ逃げます。

戦国時代後期、魏は秦に追い詰められ須賈は秦の相邦を訪ねるが范雎だったので驚き跪きます。魏斉の首を持ってくるよう言われ魏王に伝えると魏斉は自害しました。

6代君主・魏圉は弟の無忌が虎符を盗む大罪を犯したが国の存続危機であるために、やむをえず信陵君を重用し、信陵君は5国の連合軍を率いて全力で秦に抗いました。

信陵君が王位を狙っていると秦が噂を流したために疑念を深めた魏王は地位を奪い最後の才人を失いました。

紀元前225年、末代君主・魏假が投降し滅びるのでした。

(最初に呉起を相邦に選んでいれば・・公孫鞅を手放さなければ秦はもしかしたら弱小国のままだったかもしれない。もったいないね。士人を大事に扱っていれば天下統一を果たしていたかもしれない。優秀な人材はみんな他国で力を発揮しているものね)

 

6話/斉編・安寧の謎

紀元前672年、内紛を逃れた陳の公子・陳完が斉までやってきます。

春秋五覇の1人である斉国第16代君主・桓公は身を寄せたいと願う陳完の願いを受け入れ工正に任じます。

紀元前489年、陳完の死後、陳氏は田氏と改め一族の勢力を伸ばしていき、5代目となる当主・田乞は一族に隆盛をもたらします。

かつて周代の功臣・呂尚は際の地に封じられ封神演義では姜子牙と知られ策略家でありました。田氏も影響を受け策略を得意としており、陽生を君主に立て相邦に就き権力を握ります。

田氏は一族全体の利益のためなら肉親の命さえ犠牲にし、呉との戦では大敗するが田氏の政敵である王侯貴族らは戦死するか捕虜となります。

 

紀元前391年、初代君主・田和は姜斉の王を島流しにし新たな斉を建てます。田氏は8代、286年にわたる奮闘の末、斉を手に入れたのです。

紀元前355年、魏は変法で国力を増大させます。魏と秦の変法は士人が主導したが斉の変法は君主自身が主導し、斉4代君主・田因斉も大策略家でした。

政治を正し賢人登用を行うと国力は増大し、魏の覇権を奪った斉は戦国最強の名を欲しいままにしました。

紀元前314年、斉は50日足らずで燕を占領すると王室を憎んでいた燕人は才人を歓迎しました。解放者を自称する斉軍はすぐに本性を現し、宮殿を襲い財物を略奪し燕人を殺戮しました。5代君主・田辟疆は燕人が目覚め抵抗してきたために撤退を命じます。

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紀元前294年、田地が6代君主となると天下の王を目指します。子孫に封地を分け与えると勢力を増した貴族は自らの土地と軍隊を持ち反抗してきます。

最も勢力がある貴族は従兄の田文であったが貴族の田甲が反乱を起こしたために3人の食客が田甲とは無関係だと訴え自死して証明します。斉は豊であったが資産や人手の大部分は貴族が掌握しており、斉人は議論好きで多種多様の思想を持ち新政への障壁となります。

商鞅の変法は弱き秦を西方の覇者に変え、田地は秦の成功を真似して貴族の勢力を削ぎ思想を統一する田文は恐れて斉を離れます。

紀元前286年、東帝にすると秦から言われた田地は重臣たちに相談すると斉はこの機に趙と組み秦を攻めるべきと蘇秦に進言されます。宋を滅ぼすが30年前に斉に侵略されて恨みを抱いていた燕の昭王が楽毅を上将軍に任命し、燕、秦、韓、趙、魏の連合軍を率いて侵攻させます。

なぜ連合軍が攻めてくるんだと驚く田地は相邦の蘇秦が燕王との約束で斉を滅ぼすために来ていると知り、怒り狂って車裂きの刑に処すが宋を滅ぼした事で国力を消耗しており非難を浴びることになります。

 

連合軍と衝突する斉軍は一瞬で壊滅し、敵前逃亡は繰り返され各国の笑いものとなりました。豊かに暮らしていた斉人が戦を望むわけがなく民は逃げ出し田地の軍隊はとっくに亡国の軍隊に成り果てていました。

紀元前284年、田地は殺され、太子の田法章は生きるために身分を隠して暮らしていたが大夫の田単に見付かってしまいます。斉人が燕人を追い払った頃、田法章が即位し苦境で出会いお世話になっていた娘を迎え入れ王后とさせます。

紀元前259年、8代君主・田健のそばには母・君太后が寄り添っていました。上党に秦の10万の大軍が集結すると盾となってくれている趙を助けねばと臣下たちは訴えるが実権をもつ君太后はそんな余裕はないと受け入れません。

対外的には秦に追従し他の5国とは距離を置き、内政では軍備を整えず武力をほぼ放棄していました。

 

斉の相邦・后勝と門下の者たちは秦王に買収され間者となっており秦の大軍が襲い来る前に斉は抵抗する力を失っていました。

紀元前221年、秦が攻めてくると斉人は自ら城門を開け、半世紀以上前、燕軍に抵抗しなかった民は無抵抗になっていました。后勝は富に執着したが結局殺されて財宝は没収され田健は投降し斉は滅びました。

(どこの国もいい時があったのにねぇ。斉なんて豊で民たちが楽しそうに暮していたのに田地が天下を狙ったことが大いに傾いてしまいましたね。田辟疆が燕を占領しなければ恨まれる事なかったかもしれない。)

最終話のネタバレ

 

 

華流ドラマ
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