実話映画「 LBJ ケネディの意志を継いだ男 」ネタバレあらすじ(視聴感想)

 

作品情報・キャスト

ジョン・F・ケネディ大統領が暗殺され、副大統領から大統領に昇格したL・B・ジョンソンの苦悩を「スタンド・バイ・ミー」や「最高の人生の見つけ方」のロブ・ライナー監督が手掛けた実話ドラマ。

南部の田舎者から上り詰め突如大統領になったジョンソンはケネディの意志を継いで人種差別を撤廃する公民憲法を制定しようとするが司法長官のロバートやジョージア州上院議員リチャードを争うことになってしまう。

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◆リンドン・ベインズ・ジョンソン(ウディ・ハレルソン)◆レディ・バード・ジョンソン(ジェニファー・ジェイソン・リー)◆ロバート・F・ケネディ(マイケル・スタール=デヴィッド)◆リチャード・ラッセル(リチャード・ジェンキンス)◆ラルフ・ヤーボロー(ビル・プルマン)◆ジョン・F・ケネディ(ジェフリー・ドノヴァン)

 

ネタバレあらすじ/LBJ ケネディの意志を継いだ男

 

1960年~

大統領予備選挙にテキサス州南部の田舎から史上最高の院内総務に上り詰めたリンドン・ベインズ・ジョンソンは民主党候補として名乗りを上げ農業法案を推進するがヤーボロー議員は貧しい農家を保護するべきだと反対します。

ジョンソンは立候補を表明などしていなかったが若きライバルのJ・F・ケネディの独走を阻止するため勝手に街中にポスターを貼られたのです。大統領を夢見ていたジョンソンは「予備選考の結果なんてどうでもいい、党大会で勝てばいいんだ」と告げるが議員達は実績に見合った人気を得ていないので表明しないのなら手遅れになると思います。

宗教に注目が集まるとケネディは「大統領になったら誰でも同じ、聖書を片手にもう片方の手で神に誓う。合衆国憲法を維持、保護、擁護し全力を尽くす」とマスコミの前で言いました。

 

民主党大会がロサンゼルスで開催

ケネディ上院議員の支持者は独走からの圧勝を確信しており「副大統領はサイミントン、ハンフリー、スティーブンソンあたりだな」と予想していました。

完敗したジョンソンは酒を飲んで寝ると翌日ケネディが訪ねてきて「あなたの経験と才能と知恵を副大統領として活かして欲しい」と頼まれ驚きます。

ケネディは弟ロバートや議員から「勝手に決めるな、労働組合もリベラルも嫌ってる奴だ」と責められるが南部の票を固めないと大統領選で勝てないと言い返します。

ジョンソンは今まで副大統領36人のうち大統領になれたのは10人だったが己の実力は功績が物語っており今の地位にいた方がいいと支持者からの意見を退けました。

大統領選史上まれに見る小差でケネディはニクソンに勝利すると副大統領のジョンソンは地元テキサスで勝利に貢献しました。

ジョン・F・ケネディは第35代大統領に就くとジョンソンは「国務省、国防省、CIAの各機関が副大統領に協力するよう求める」と手紙を送りました。

ロバートや他の議員があざ笑う中、ケネディは先月まで最も権力を持つ党員だったので機嫌を取るよう言いました。

 

PCEEO委員長 

ケネディは副大統領が打ち込める仕事を与えようとPCEEO(大統領雇用機会均等委員会)の委員長に抜擢します。すべての官庁と請負業者に人種差別なき雇用を求めているのです。

ジョンソンは公民権運動は南部が難色を示すし逆に公民権を推進出来なかったらリベラル派に嫌われるためどっちに転んでもどちらかの党員に嫌われる運命だと言います。1968年の大統領選に出馬するには嫌われたら困るが公民権の問題が民主党を二分化しているので両方の意見が聞ける委員長になれた事を前向きに捕らえます。

ジョンソンは政府が発注する輸送機をロッキードのジョージア工場に請け負ってほしいと話し、黒人を雇って欲しいと協力を求めるが師弟関係であるラッセル上院議員は「屈服はしない」と言います。

それでもなんとか「改善する」の言葉を聞き出したので「輸送機の製造をめぐる10億ドル契約をロッキードに」と伝えるが初めて委員会が取り組む案件で成果を出す必要があり公民権を尊重しない工場とは契約できないとケネディに言われます。

ジョンソンはジョージアの工場を契約すれば黒人を雇うよう命じられるし共に働く社会が南部で実現するのだと意見するとケネディは受け入れ説得は頼んだぞと言いました。

1963年春にはジョージア工場では黒人と白人が共に働き輸送機は完成間近まで来ていました。しかし協力してくれたラッセルだが「ケネディが公民権法案を提案するなら徹底的に潰すと言われてしまいます。

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ケネディ暗殺 ジョンソンは36代大統領に。  

1963年11月22日ダラスのラブフィールド空港に降り立ったケネディ夫妻をジョンソンは出迎え「同乗を拒否」と新聞で書かれていた事は事実なんだろうと思います。

ケネディに関しては「同乗を拒むな」と忠告していた事もあり挨拶に応えてくれたがほとんどの議員に素通りされました。ジョンソンはケネディと共に声援に応じるが群衆が握手を求めるのはほとんどがケネディであり副大統領とは何の力もないただの飾りなんだとため息をつきます。

市内パレードの際、ジョンソンはシークレットサービスの警護車を間に挟んでケネディ夫妻の乗った車の2台後ろから進んで行ったが発砲音を耳します。この時ケネディは喉を撃たれていたが次の弾がケネディの後頭部に命中し伏せるよう言われるまでジョンソンは何が起きたか把握できずにいました。

警護班に誘導されパークランド・メモリアル病院に到着するとジョンソンは大統領と知事が撃たれた事を知らされます。

すぐにホワイトハウスに戻るよう進言されるがケネディが重体だと知りその場に残ります。しかし亡くなった事を聞かされたジョンソンはシークレットサービスに警護されダラスのラブフィールド空港に駐機していたエアフォースワンに乗り込みます。

ケネディの弟ロバートから「兄を大統領として待ちたい。宣誓ならホワイトハウスに戻ってからでも遅くない」と言われるがジョンソンはアメリカ政府が機能している事を全世界に知らせる事が需要だと判断します。

サラ・ヒューズ連邦判事の協力を得て機内で宣誓を行ったジョンソンは第36代アメリカ合衆国大統領に就任しました。

 

結末

ジョンソン大統領はケネディが選んだ各官僚と個別に話し合い協力を求めます。ケネディメンバーはジョンソンが1949年からずっと公民権を反対してきたので裏切ることはしないがダメなら対抗馬としてロバートを送り込もうと話し合います。

ラッセルが「南部出身の大統領だ」と称え大勢を連れて訪ねてくるがジョンソンは大統領を夢見ていたもののこんな形で実現するとは思ってもいなかったので複雑な思いでした。

ケネディの葬儀を終え国民の声を聞いていたジョンソンはケネディの意志を丸ごと受け継ぐことを決意し戦い勝つには信念を持った味方がいるため協力を求めました。

南部の民主党員が議事妨害してくるのは想定内でした。ラッセルから「師である私に背中を見せるのか、裏切り者」と言われたジョンソンは「公民権の時代が来たんです。今まで避けていた事を言いますがあなたは差別主義者だ」と言い放ち決別します。

上下両院合同会議の演説の場でジョンソンは人種や宗教、政治的信念に関係なくすべての国民が互いを認め合う時代が来たと述べます。平等の権利を100年経ってもまだ議論している事を問題視し法律に新しい章を記す時だと力強く発すると拍手が沸き起こりました。

ケネディは最初の1000日間では達成できないが始めようと呼びかけました。それをジョンソンは「続けていこう」と言いました。

ケネディメンバーは感動し、ロバートも立ち上がって拍手しました。

 

”1964年7月2日ジョンソンは公民権法を成立、11月3日には大統領選で50州のうち44州を制し得票率61.1%(1820年以来過去最高)でゴールドウォーターに勝利しました。

1965年には投票権法を成立させ黒人の選挙権を保障し、高齢者と低所得者向けの医療保険制度を作り貧困家庭の就学援助も充実させました。

しかし、ベトナム戦争の反戦運動が盛り上がるにつれ支持率は低迷しロバート達から批判を受け1968年3月31日次期大統領候補として出馬しないことを表明しました。

再出馬しなかった大統領はジョンソン以降現れていない”

 

感想

時代背景や予備選の仕組みも無知だったために大統領に正式なる前からケネディが副大統領の話をジョンソンに持っていたあたりはよく分からなかった。

ジョンソンの能力を認めて推薦したのか単純に南部に強いパイプを持つジョンソンをそばに置いておきたかったのかは不明。

ベトナム戦争の件で嫌われ者となってしまったジョンソンだが北部、南部が対立しているなか時代だからと考えを変えるのはとても勇気がいることです。

素晴らしい大統領だったのではないかなと思いました。

 

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