作品情報キャストの紹介
ベストセラー小説を主演・制作・脚本を兼ねてジョージ・クルーニーが映画化。
ヒトラーの命を受けナチスドイツは各国の彫刻や絵画を略奪していました。
危機感を持ったハーバード大学美術館の館長はルーズベルト大統領に奪還作戦を認めさせ部隊を結成する
ネタバレあらすじ/ミケランジェロ・プロジェクト
1943年、第二次世界大戦真っ只中ヒトラー率いるナチスドイツは支配下のヨーロッパ各国から貴重な美術品を奪っていました。
パリでは美術品が次々と奪われイタリアではダ・ヴィンチの「最後の晩餐」が英国軍の爆撃で三方の壁と屋根が崩壊し529年に建てられたモンテ・カッシーノ修道院には爆弾が投下されました。
カトリック教会の代表作「ヘント祭壇画」も奪われハーバード大学付属美術館の館長ストークスは美術品や文化財が破壊されたら意味がないとして若い美術学者たちを送り、取り返すべきだとルーズベルト大統領に訴えます。
すると若い者は戦場に出ているためストークスがその任務を引き受ける事になりました。
美術品を取り返すために
1944年ニューヨーク。ストークスは6人の美術専門家に声を掛け「モニュメンツ・メン」を結成します。
イギリス英軍基地でジェフリーズに出迎えられたモニュメンツ・メンは軍事訓練に励みます。
ストークスはメンバーを集めヒトラーは故郷リンツに建設予定の総統美術館にヨーロッパ各国の美術品を展示予定であり何処かに隠している事を伝えます。
連合軍とナチスが今現在戦っているノルマンディーに向かうがメトロポリタン美術館のキュレーターであるグレンジャーはパリの国立美術館長と親しいため情報を得るために1人パリに向かいます。
1944年7月。パリの国立美術館で働いていたクレール・シモーネはレジスタンスの弟が美術品を積んだトラックを盗もうとした事で始末され疑われます。
シモーネは従うフリをして美術品が何処へ運ばれていくのが細かく記録していました。グレンジャーは美術館長からクレール・シモーネに会えば何か情報が得られるかもしれないと教えられ会いに行きます。
ナチスの輸送部隊
ノルマンディーに到着するが協力を得られそうになくストークスは若いドイツ系アメリカ人兵士エプスタインと再会して共に行動しナチスが美術品を5つの輸送部隊でジーゲンに運ぶことを突き止めます。
フランス、サン・ローに到着するとストークスは会議を開きシカゴの建築家キャンベルは演劇興行主サヴィッツと祭壇画があったベルギーのヘントに、そして彫刻家ガーフィールドはユダヤ系フランス人美術商クレルモンと独軍に近づくためアーヘンに向かうよう指示します。
またイギリス人歴史家ジェフリーズは若い頃暮らしていた聖母子像があるブルージュの教会に行くと言いました。
ナチスがフィレンツェ撤退の際に町を破壊した記事を目にしたジェフリーズは指揮官から協力を得られそうにないのでミケランジェロのイタリア以外で唯一の像・聖母子像があるブルージュ聖母教会に急いで向かいます。
夜中に忍び込むと聖母子像を目にしたジェフリーズは出会ったカトリック教徒と共に安全に運ぼうとするが撤退する前の敵に撃たれ命を落とします。
ソ連軍も美術品をねらう
ソ連軍が戦利品強奪隊を結成し賠償に充てるため美術品を奪い出します。それにより横取りを警戒されグレンジャーはクレールから情報を得られないでいました。
グレンジャーはヒトラーのネロ指令「自分が死んだら橋、鉄道、公文書、美術品を破壊せよ」がある事を伝えモニュメンツ・メンが必ず取り返すと説得しました。
ドイツ、レマゲンで合流したモニュメンツ・メンは美術品がジーゲンかメルカースにあるのではと思います。
ガーフィールドはメルカースへ行くが銃撃戦に巻き込まれクレルモンが巻き込まれ命を落としてしまいます。
ストークスは足を負傷したガーフィールドに米国に帰るよう伝えるが最後までやらせて欲しいとお願いされ受け入れます。
美術品の在処
キャンベルは歯が痛くなり治療を受けに行きます。
歯医者に行くとパリで美術を学んだ甥が住んでいると知り何か情報が得られるかも知れないと思いザヴィッツを連れて訪ねます。すると家に飾られた美術品は盗まれた物だと分かり捕まえます。
家から発見した地図にはメルカースやジーゲンなどに赤丸が記されており鉱山に隠されているのではと疑いジーゲンの鉱山に向かいます。
すると1万6千点もの美術品を見付けるがジェフリーズが命をかけた聖母子像はありませんでした。
メルカースの岩塩坑にあるのではと疑うストークスは移動命令書を同封した2人が亡くなりクレールから情報を得たグレンジャーに君が必要だと手紙を送りました。
1945年4月メルカースにグレンジャーが到着しモニュメンツ・メンに合流します。
メルカースの岩塩坑でも多くの美術品を発見するが聖母子像はありませんでした。しかし地下360メートルで100トン以上のドイツ国家の金塊を発見しナチスに大打撃をあたえます。
美術品には無関心だった将軍たちは金塊を発見し自慢げに会見を開きました。
ドイツ、ハイルブロン岩塩坑に到着すると美術品や書類がすべて燃やされていました。グレンジャーが地雷に踏んで動けなくなるが火炎放射器で熱せられ爆発しない可能性があるとしてモニュメンツ・メンのメンバーはグレンジャーの体重と重さが釣り合うように重りを乗っけました。
モニュメンツ・メンはその場に全員残りグレンジャーはゆっくり足を外すとほんの小さな爆発で済み助かりました。
結末
アルトアウスゼーの岩塩坑に到着すると爆破されていて入り口は粉々になっていました。
捕らえられていたドイツ大佐は指示に従っただけでジュネーブ条約により釈放され家に帰ると言い張っていました。
ストークスは帰国して戦争犯罪人である大佐が処刑された記事を見る事になるだろうと脅すとナチスが美術品を運べないようにするため地元の連中が入り口だけ爆破した事を知ります。
ソ連の占領下であり明日やってくるから今夜までに撤収しろと命じられてしまいます。
しかしモニュメンツ・メンは爆破させ出来る限りの「ヘントの祭壇画」を含めた美術品を運びます。最後まで探し続けたストークスはミケランジェロの聖母子像を見付け急いでトラックに積み込みソ連軍が迫る中3千点もの美術品を運び出すのに成功しました。
ザヴィッツとキャンベルが祭壇画をベルギーへ運び一般公開されたあと大聖堂へ返還されました。
グレンジャーはフランス美術品をパリに返却しクレールは感謝します。
絵画や彫刻をはじめ個人所有の美術品、その他、路面列車300両、書籍300万冊、ユダヤ教の”トーラー”数千冊、取り戻した総数は500万点以上に及びました。
聖母子像を守るために死んだ者がいたと必ず語り継がれると報告したストークスは1977年に孫を連れてベルギーのブルージュ教会に足を運びました。