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「 関ヶ原 」< ネタバレ・あらすじ >何が起きてるのかさっぱり分からん!説明不足、詳しい人でも納得いかないのではないか。

邦画アクション

 

620万部を超えた、秀吉の死から関ヶ原の戦いまでを描いた司馬遼太郎の歴史小説を「クライマーズ・ハイ」や「日本のいちばん長い日」を手掛けた原田眞人が映画化。

義を重んじ不器用で人間味のある戦国武将・石田三成を演じるのは「永遠の0」や「海賊とよばれた男」などで賞を獲得したジャニーズV6の岡田准一

表と裏の顔を持ち天下取りの野望を抱く徳川家康を演じるのは「聯合艦隊司令長官 山本五十六」や「孤高の血」など多くの作品で活躍した役所広司

二人は「蜩ノ記」で共演しています。

その他◆初芽(有村架純)◆島左近(平岳大)◆小早川秀秋(東出雅大)◆直江兼続(松山ケンイチ)◆豊臣秀吉(滝藤賢一)など。

 

< ネタバレ あらすじ >

関ヶ原

 

1572年頃、秀吉は織田信長の武将として近江長浜で二十四万石の大名でした。

その頃の石田三成(当時の名は佐吉)はまだ幼く学問修業のために寺に通っていました。いきなり寺にやってきた秀吉に対し、三成は白湯の温度によって量を変えて差し出すと気に入られ引き取られます。

(一敗目はぬるくたっぷりと、二敗目は熱く半分、三杯目は舌が焼けるほどを少々、「三献の茶」と呼ばれるが真実か不明)

 

<16年後 1588年 大阪城>

三成は天下人となった秀吉の側近としてそばで仕えていました。

三成は戦が終わるものと思っていたが秀吉は朝鮮も臣下に置こうと考えていました。

<7年後  1595年 伏見城>

謀反の疑いを掛けられた豊臣秀次は関白を辞して高野山に出家していたが秀吉に命じられた武将に包囲され切腹しました。

秀吉は秀次の眷族の処刑を命じると江戸から駆け付けた徳川家康は「世継ぎである幼い秀頼様のことを考えると当然の事」と意見を述べました。

三成は「駒姫ご一行が上洛した時にはすでに切腹していました。命を助けてほしい」とお願いするが罰を受けて当然だと言われてしまいます。

三成は三条河原に駆け付け「なんで処刑せねばならないのか」と口にすると秀次の眷族を救おうと伊賀忍人少女(初芽)が刀を持って立ち向かいました。

三成は「処刑は済んでしまったからもう止めよ」と初芽を捕らえ傷の手当てをさせました。

そして浪人生活を送っていた島左近を目にし家来になって欲しいと想いを伝えお願いしました。屋敷に戻った三成は傷の手当てを終えた初芽に「私に仕えてくれ」と告げます。

 

<3年後 1598年>

三成に仕える決意を固めた左近が屋敷にやってくるが「杖を拾ってくれた時ぐらいは笑顔を見せないと」と忠告されます。

三成は秀吉が床に伏せてる間に天下を取ろうと下準備している家康が嫌いであり杖を拾ってくれた時に礼も言わず受け取り去ったのです。(竹杖事件)

本多正信は竹杖事件が真実だと知り「太閤没後にすぐに斬るべし」と伝えるが家康は「誰が仲間になるのか把握してからだ。豊臣家を二つに割る」と冷静に答えました。

勝ち戦の場で逃げる敵軍に単独で突っ込んだ小早川秀秋を「総大将が捕虜にでもなったらどうするのか」と三成は責めていたので家康は秀秋を庇い抱き込みに掛かります。

 

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<豊臣秀吉 死去>

三成は家康の耳に入れないよう遺言と称して「ご逝去は口外してはいけない」と訴えます。

天下人を密葬しなければならない事に涙を流す三成だがそれも家康がいるせいだと思います。

<1599年 1月>

とりあえず伏見城は手に入れたと満足する家康のそばには伊賀の忍び人・蛇白が仕えているが三成に仕える初芽とは同じ同郷の姉妹分でした。

死んだ側室に似ているからと家康に阿茶と名付けられた白蛇は部下の赤耳に「こちらの情報を初芽に漏らしてないだろうな」と脅します。

また正室の他に5人の側室がいる三成は「義を裏切るので側室には出来ないが誰よりもお前の事が愛おしい」と伝えました。大阪で待つから必ず戻ってこいと言われた初芽だったが大谷刑部に会いに行った帰り赤耳に襲撃されました。

 

<1599年3月3日 大納言前田利家没す>

加藤清正含めた7将が三成がいる大阪屋敷に襲撃に向かいます。三成は直江兼続に会いに行き挟み撃ちする作戦の確認をするが忍び人赤耳が仕えていました。赤耳は家康に仕える白蛇にうんざりしかつて仕えていた直江兼続の元に戻ってきたのです。

屋敷に戻った三成は「いま自分が死ねば一番困るのは家康だ」と気付き逃げ込みます。竹杖事件のことだけでも思い出すとイライラする家康だが清正たちを説得して追っ払い三成は予想通りだと満足するが戻ってこなかった初芽を心配します。

奉行職を解かれ故郷の佐和山城へ蟄居となった三成は家康と対決するため上杉家や毛利家など各地に書状を送り本格的に計画をすすめます。

 

1600年6月に多くの武将を味方に付けた家康は上杉討伐に向かいます。上杉家家臣の直江兼続らと挟み撃ちにする計画だった三成は挙兵するが家康は三成が動き出すのを待っていました。

そして9月15日に関ヶ原の戦いが開戦されるわけだが・・・・

< 感想に移らせていただきます >

大雑把な「関ヶ原の戦い」は誰もがご存じとは思いますが「秀吉の死から関ヶ原の戦い」までの出来事をマニア並に詳しい人じゃないと何が起きてるのか、何を話してるのか、正直理解できないと思います。

家康が上杉討伐に向かった6月から関ヶ原の戦いが開戦されるまでにもいろいろあったが、はっきり言ってごちゃごちゃしていてよく分からない。三成が挙兵した伏見城の戦いでは最終的に裏切った小早川の活躍が大きいはず。また直江兼続が登場するなら直江状の事ぐらいしっかりやってもらいたい。

忍び人なんていらないから人物像を詳しく説明してほしかった。誰が味方なのか、なぜ敵なのか、さっぱり分からない。

どういった関係で石田三成についたのか徳川家康についたのか・・・朝鮮から帰還した加藤清正と小西行長が何やらもめていたがそのあたりも説明が足りなさすぎてさっぱり分からない。

大阪にいた三成はなぜ急に清正などの7人党に命を狙われたのか。三成が主役ならなぜ嫌われているのかしっかり描くべきです。なにより家康がどのようにして豊臣政権内部の主導権を握るまでいたったかまったくもって伝わらない。

秀吉ご逝去までは「義」vs「野望」が想像できて良かったがそこから「ごちゃごちゃ」してるだけでさっぱり分からない。

誰と誰が戦ってるのか?、大規模な戦いなのにそれすらも伝わってこない。

秀秋の裏切りがあった事から家康が勝利したが本来ならかなり追い込まれどっちが勝つか分からなかったはず。なんにも描かれていない。

三成はどこにいて、なにをして、誰と戦っているのか?本当に説明不足でした。

 

小早川秀秋の裏切りや島津が動かなかった事などで西軍は総崩れとなり戦いに敗れた三成は伊吹山の東にある相川山を越えて春日村に逃れるが捕まります。

大津城に護送され城の門前で生き晒しにされると秀秋からは不義に負けたと謝罪されます。

そして家康と無言の対面を済ました三成は処刑される六条河原に移される途中、「大一大万大吉」とつぶやく初芽を見て、生きていたと安堵し未練なく処刑されました。

大一大万大吉=「一人が万民のために、万民が1人のために尽くせば、人々は幸福になれる」

 1600年10月1日 石田三成 41歳 没す

 

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