映画「天地明察」ネタバレあらすじと結末/暦作りに励んだ碁打ちの安井算哲~岡田准一 / 宮崎あおい

 

作品情報・キャスト

累計発行部数150万部突破した冲方丁の同名小説をジャニーズの岡田准一を主演に滝田洋二郎監督が映画化。

将軍に囲碁を教える名家の安井算哲は算術と観察に興味があり、会津藩主から800年使われ続けている暦の誤りを正すよう言われ引き受ける。

安井算哲/渋川春海・1639-1715 江戸時代前期-中期の暦算家。寛永16年閏11月3日生まれ。囲碁棋士の父・安井算哲が亡くなると算哲2世を名乗り御城碁をつとめる。岡野井玄貞、池田昌意に暦学を学び貞享元年従来の宣明暦にかわって自作の貞享暦が採用され、その功により幕府天文方となった。渋川と改姓して天球儀や地球儀、百刻環をつくる。正徳5年10月6日に死去77歳。

◆安井算哲(岡田准一)◆えん(宮崎あおい)◆村瀬義益(佐藤隆太)◆本因坊道策(横山裕)◆保科正之(松本幸四郎)◆水戸光圀(中井貴一)◆関孝和(市川猿之助)◆建部伝内(笹野高史)◆伊藤重孝(岸部一徳)◆宮楠川友麿(市川染五郎)四代将軍家綱(染谷将太)

 

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ネタバレあらすじ/天地明察

 

江戸前期 鎖国の世

地球が丸いことさえ知られていない時代。

江戸 会津藩邸にて、碁打ちの安井算哲はいつものように屋根の上から天体望遠鏡を覗いていました。

本能八幡宮に和算家、関孝和による設問が掲げられ算哲は設問を書写し地べたに座り解いていたが都城しなければならない時間になってしまいます。

江戸城、徳川家綱の前で算哲と本因坊道策は棋譜通りではなく真剣勝負を魅せます。

会津藩主、保科正之に呼び出された算哲は、

独学の算術を見込まれ天文に興味を持つことから日本全国の北極星の角度を計る北極出地を命じられ刀を渡されます。

 

設問者の関に会えると思い村瀬塾を尋ねると村瀬義益から関の校本を手に入れます。

関の設問を見ると自分と同じように星を好んでるように思え気になっていた算哲は本能八幡宮で関の設問の答えを解き自らの設問を掲げます。

行儀見習いに神社に行かされている村瀬の妹えんと出会い、一目惚れした算哲は北斗七星は1年かけて北極星の周りを一周すると説明します。

自分の設問に関が答えてくれたら北斗七星が今の位置になるまで預かっていて欲しいとお願いしました。

御用頭取の建部伝内、御用副頭取の伊藤重孝を先頭に、全国北極出地の旅に出た算哲。

北極星の角度を計り緯度を正確に測定するのは難しいなか算哲は明察していき天職だと言われます。

 

関宛に掲げた設問は誤門だと気付いた算哲は取り外すよう、えんに手紙を書きます。

また建部から800年前の宣明暦を使っているため暦がずれていると聞かされこのままでは日食月食の予測すら難しくなると思い改暦しなければと思います。

予定より半年も長くかかってしまった北極出地で体調を崩していた建部が亡くなり意思を継ぐことを決意します。

村瀬塾に旅をしながら考えた設問を届けに行くと村瀬からえんは嫁ぎにいったことを知らされる。

水戸藩主 徳川光圀や会津藩主 保科正之の後押しもあり算哲は総大将となり古き暦を捨て正しき天理をもたらすため改暦を命じられます。

 

算哲は思想家の山崎闇斎とともに、宣明暦・授時暦・大統暦の三種の比較検討をします。

日食月食をはじめすべての予測値の制度をあげ観測と推理の結果、最高の暦は授時暦であると決定します。

しかし元国の暦は不吉であり改暦など必要ないと帝は幕府からの上申を却下しました。

 

結末

算哲は多くの民の前で白黒はっきりさせるため三暦勝負のビラをまきます。

予想される日食月食の位置を3年間確かめる勝負、このビラを村瀬塾にも貼って貰おうと持っていくとそこには離婚したえんがいました。

三暦勝負に勝った時には言いたい事があると伝えると今度こそ遅れたら待ちませんとえんは返答しました。

不遜な改暦は武士の恥だと襲撃され天文台には火矢が突き刺さります。この襲撃により山崎闇斎が算哲を矢から守り亡くなってしまいます。三暦勝負では1番正確だということを示したが日食予報を外してしまい朝廷を頷けさせる事はできなかった。

 

改暦にもう一度励む決意を固めた算哲の隣には嫁となったえんの姿がありました。

2人して観測を続ける日々を送ってると授時暦はあの日以来1回も外すことはなかったがまたもや日食を外し苛立ってしまう。

授時暦の欠陥を知っていた関から資料と世界地図を貰い自らの足で収集したデーターをもとに地球儀を完成させます。

日の軌道がずれているのを突き止めた算哲は時差を正しく直した「大和暦」を完成させました。

大和暦改暦を認めさせるには京の地で予測が難しい日食を当てることだ。

失敗すれば算哲自身だけでなく後押ししてくれた水戸光圀も腹を斬らねばならない。

〜皆既日食〜

まさに天地明察!

えんは駆け寄り算哲と抱き合い、民は祝福しました。

算哲の大和暦は貞享暦として帝により新しい暦として採用されます。

算哲は渋川晴海と名を改め初代天文方に任ぜられ道策は生涯全勝し過去最強の棋士と謳われている。算哲とえんは同じ年同じ日に亡くなりました(終)

 

 

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