映画「残像」ネタバレあらすじ/アンジェイ・ワイダ監督の遺作となったポーランド映画

 

作品情報・キャスト

ドイツから解放されたポーランドだったが今度はソ連の社会主義体制の傘下に組み込まれ芸術家たちが次々と弾圧されていきます。

そんな中、個人の自由を求めて闘い続けた前衛画家ストゥシェミンスキを今は亡きアンジェイ・ワイダ監督が描いた作品。

ストゥシェミンスキ(ボグスワフ・リンダ)ハンナ(ゾフィア・ヴィフワチュ)ユリアン詩人(クシシュトフ・ビチェンスキ)ニカ(ブロニスワヴァ・ザマホフスカ)

 

ネタバレあらすじ/残像

第二次世界大戦後、ソ連の支配下に置かれているポーランド。

戦争で左手と右足を失った画家であるストゥシェミンスキ教授は野外研修で「残像は形こそ同じだが補色であり、ものを見たあと網膜に残る色なんだ」と教えます。

1948年12月、ポーランド統一労働者党が国を社会主義へ導こうと大衆に訴えます。

ストゥシェミンスキ教授は絵を描こうとするとスターリンの巨大な垂れ幕が窓を覆いキャンパスが真っ赤に染まります。

邪魔だと思った教授は松葉杖で垂れ幕を引き裂くと国が目指す方向に逆らっていると責められます。

逆らっているわけではなく絵画に対する考え方の相違だと訴えます。

 

ストゥシェミンスキは妻であるコブロ彫刻家とともに前衛的で、世界的に有名なマレーヴィチとも交流がありました。

モスクワで美術展に出品したあとポーランドに戻り詩人ユリアンとa.r.グループ(革命的芸術家)を設立しました。

自身でデザインした新造形空間(展示室)には彼が造った作品やコブロの彫刻が展示されています。案内される生徒の中にストゥシェミンスキの娘ニカがいたが「娘ですけど両親は離婚しました」と言いました。 

 

ストゥシェミンスキはゴッホの絵を元に講義を行っていると文化大臣の演説があると強引に中断されてしまいます。

大臣は芸術家に社会主義リアリズムを要求し世界主義と闘い西側文化の崇拝から脱しようと話し始めます。

「形式主義をはねつけイデオロギー欠如の芸術を否定し資本主義者の芸術やアメリカの世界主義と闘おう」

教授は立ち上がり「芸術は薄っぺらいリアリズムではない。時代に合う芸術を求めて闘います。ある集団の利益にかなうから芸術と政治の境界線をなくそうとしている」と言い放つと一部の生徒たちから拍手が起こります。

 

教授は学校に行くとドアに休講と書かれた紙が貼ってあり生徒たちが廊下にいました。

学長を訪ねると「大臣同志の決定により1950年に3月31日に契約を解除する」と言われ教授職を解かれてしまいます。

ウッチ市に貢献し国内初で欧州2番目の現代美術館を建てたストゥシェミンスキの下で勉強したい生徒は多かったが彼は「卒業しないと困るぞ。歴史の中で風が吹いてもやがて収まる」と言い去っていきます。

 

自宅で絵を描き続けるストゥシェミンスキは娘ニカからタバコ吸い過ぎだと毎日注意を受けます。

革命後、ストゥシェミンスキはカディンスキーやシャガールと活動し20世紀最大の芸術家だと訴える仲間もいたが党は「裏切り者」の一点張りでした。

生徒達は学生展に出す作品を持って講評を得たいと訪ねてきます。ストゥシェミンスキは「自分の表現を模索してくれ、芸術も恋愛も自分の力で勝負するしかないから探すしかない」と言います。

 

病気で入院していた元妻コブロが亡くなった頃、十月革命で社会主義が勝利しました。

ストゥシェミンスキは学生達と共に学生展に足を運ぶが予想通り党によって作品はすべて破壊されていました。またコブロの家は強制的に軍の宿泊所にされてしまいます。

教授職を解かれても画家として仕事があったストゥシェミンスキだが彼の教えは大学で禁止になり作品は次々と破棄されてしまいます。

 

結末/残像

教え子の1人ハンナが画材や食料を届けストゥシェミンスキは描き続けます。ニカはハンナが頻繁に家にやってくるので学校の女子寮に戻っていきます。

絵の構成を細かく説明しハンナが書き留めていきます。教え子達の協力で仕事が入るがそれも「無認可の芸術家」を理由にすぐに解雇されます。

やがて無認可の人には売れないと画材すら購入できなくなります。

ハンナはストゥシェミンスキを愛しており大学で禁止になり処分された彼の著書「視覚理論」を完成させるため協力したいとタイプライターを持って現れます。タイプライターは盗んだ物であり疑われたロマンが退学になっていました。

しかしハンナはロマンは党からも除名され共犯だから問題ないと言います。

「情勢は私が思ってた以上に厳しいから」

ストゥシェミンスキはそう答えると彼女は家のキーを置いて帰ります。当局は反政府の冊子をタイプしているとハンナをマークしており家から出てきたところを捕まえて連行しました。

 

ストゥシェミンスキは金が底をついていき食料配給も止められてしまいます。

倒れて病院に運ばれた彼は「視覚理論」を完成させれば何かは遺せるとユリアンに話します。

進行性の結核だと診断されるが無理言って自宅に帰り本を完成させようとします。

元妻の墓に青い花を添えたあとニカに寮を離れて家に来るよう伝えます。

作品を誰にも見つからないように保管してくれていた館長に「生きていくためにどんな仕事でもする」とお願いするが彼には仕事を差し上げるようなものはありませんでした。

 

社会主義リアリズムを信念を貫くため拒否し続けた前衛画家ストゥシェミンスキはマネキンが並ぶショーウィンドウの中で倒れ1952年12月26日、運ばれた病院で亡くなりました。

 

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